この記事をまとめると
■バブル期にF1にも参戦していたホンダが作ったスーパースポーツがNSX
■総アルミボディにチタンキーなど衝撃的な内容だった
■誕生からの歴史と中身を振り返る
最高のハンドリングを至上命題に開発
日本がバブル景気の絶頂にある中、ホンダが発表したミッドシップスポーツが「NSX」だ。車名のNSXとはNew SportsCar X、つまり、新しいスポーツカー「X」を意味するもので、たしかにその前身となるモデルは存在しない。参考までに発売当初の800万円という価格は、1990年の発売当時は日本車では最高価格に相当するものだったが、不動産がそうだったように、NSXもまた将来的な価格の高騰を見越して、それを購入するカスタマーも多かった。
NSXの開発プロジェクトは、すでに1984年には開始されていたが、それまでのホンダはFWDを主流にプロダクションモデルを生み出していたため、それはまったくのゼロからのスタートといってよいプロジェクトだった。MR、すなわちミッドシップリアドライブの基礎的な研究を続けていた上原繁氏がチーフ・エンジニアとして指名され、直接のライバルとしてはフェラーリが当時生産していたV型8気筒MRの328を想定。ホンダは最初から、対フェラーリを強く意識してNSXを開発していたのだ。
NSXの開発チームが、フェラーリに対してもっとも大きなアドバンテージとしたかったのは、ハンドリング性能だった。そのために、まず必要なのは軽量性で、ホンダはNSXの設計において、その骨格を始め、ありとあらゆる部分にアルミニウム素材を導入している。ボディの内外板やフロア、サスペンションまでそれは広範囲にわたり、またそれぞれにプレスや鍛造、鋳造など最適な工法を用いて、その成型は行われているのだ。面白いのはNSXを動かすためには必要不可欠なキーだけはアルミニウムではなくチタン製であることで、これは強度の問題だったとされている。
ミッドに搭載されるエンジンにも、さまざまな案があった。軽量性を追求するためならば2リッター級の直列4気筒エンジンがベストだろうという意見もあったが、ここでもフェラーリ328の存在を考慮し、当時レジェンドに使用されていた2.7リッターのV型6気筒をベースとした3リッター仕様へと計画を変更。DOHC&VTEC化もここでの大きな決断だった。
NSXのスタイルを見ると、まず感じるのはリヤオーバーハングの長さだが、これはエンジンをDOHC化することによってホイールベースの延長がさけられなかったことに直接の理由がある。その副産物としてNSXには最後部にゴルフバッグさえ搭載できるラゲッジルームが備わる。また、280馬力(ATは265馬力)の最高出力を誇ったエンジンには、5速MTのほかに4速ATとの組み合わせも実現しており、実用性の高さも強く主張したのがNSXだった。