この記事をまとめると
■ブガッティはVW傘下となり立て続けに4台のコンセプトカーを公開した
■新生ブガッティの最初の1台として1001馬力・最高速度406km/hのヴェイロンを販売
■最終的にヴェイロンは1200馬力に出力をアップし、最高速も431.072km/hを記録した
ブガッティ伝説第3章の始まりを告げるヴェイロン
世界でもっとも高貴な、そして価値あるブランドともいえるブガッティが、VWグループで再びの復活を果たしたのは1998年のことだった。ブガッティはそれ以前に、スーパースポーツの聖地ともいえるイタリアのモデナにおいて一度復活し、EB110などのモデルを販売したことでもスーパースポーツのファンにはお馴染みだが、残念ながらその活動は長くは続かず、新たな親会社となるべくこの伝統のブランドを手中に収めたのがVWだったのである。
ブガッティが、グループ内のハイエンドにある意味は想像する以上に大きい。それによってグループ全体に高級、そして高性能なイメージが生まれるからだ。
ブガッティを手に入れたVWは、ここから驚くほどの勢いで、さまざまなコンセプトカーを発表していく。1998年の10月には、クーペ・コンセプトの「EB118」、翌1999年3月には4ドアサルーンの「EB218」、そして1998年秋のフランクフルト・ショーでは、W型18気筒エンジンをミッドに搭載したスーパースポーツの「EB18/3シロン」、続く同年の東京モーターショーでは「EB18/4ヴェイロン」がワールドプレミアされているのだ。モデナに存在した、いわゆる第二期ブガッティを知る者は、この企業としてのサイズこそが可能とした現実に、一瞬言葉を失ったに違いない。
VWは、EB18/4ヴェイロンを生み出した段階で、新生ブガッティのファースト・プロダクトをヴェイロンとする決定を下していた。イタルデザインのスタイリングによるシロンは、確かにスーパースポーツとして魅力的な造形を持つモデルだったが、純粋なVWのデザインチームが描いた、第一期ブガッティ時代の妖艶さを再現したかの如き、古典的な感覚と最新のエアロダイナミクスが両立したヴェイロンのデザインは、エクステリア、インテリアともにより魅力的なものにVWの首脳には映ったのだろう。
当時VWグループを率いていた総帥、フェルディナンド・ピエヒもまた、ヴェイロンのプロダクション化に賛成する人物のひとりだったという。