階級のない社会であるアメリカのメーカーを日本メーカーも真似た
フェラーリについては、また違った方向から生まれたブランドだ。そもそも創始者のエンツォ・フェラーリはアルファロメオのワークスドライバーだったわけだが、アルファロメオがブランドイメージを高くしたのはモータースポーツでの活躍が大きい。
フェラーリはなおさらで、F1グランプリに参戦し続けていることが同ブランドの価値を生み出しているといえる。20世紀初頭からモータースポーツが社会的に認められていたからこそ、スポーツカー専業メーカーが成立する土壌があった。
翻って日本の状況を考えると、常設サーキットが初めて誕生したのが1936年のこと。それは川崎市中原区にあった「多摩川スピードウェイ」というダートオーバルのコースだった。
そんな多摩川スピードウェイの跡は土手に残るコンクリート製のグランドスタンドでうかがううことができたが、2021年秋の護岸工事によってその跡地も取り壊されたという。21世紀になっても自動車文化、モータースポーツへのリスペクトがない国でスポーツカー専業ブランドが生まれなかったのは当然のことだったのかもしれない。
さて、日本の自動車業界には超高級ブランド、スポーツカー専門ブランドがないという前提で話を進めてきたが、それはアメリカも同様だ。世界最大の自動車市場といえる北米で育ってきた、かつてビッグスリーと呼ばれたGM(ゼネラルモーターズ)、フォード、クライスラー(現在はステランティスの一部)にしても、どれも大衆車メーカーといえる。
電気自動車で新しいブランド価値を切り開くテスラモーターズにしても、お金に余裕のあるアーリーアダプター(新しもの好き)向けのブランドという立ち位置ではあるが、超富裕層向けの高級ブランドというわけではない。
ベンチャー的に超少量生産のスポーツカーブランドはあるが、やはりアメリカでもロールスロイスやフェラーリのようなメーカーはこれまで生まれていない。
それはアメリカこそ生まれながらの階級がないという前提の社会であって、その中では高価格帯の高級車は存在しえても、貴族や王族向けの自動車というニーズは生まれなかったからといえる。
そして、日本の自動車メーカーはその多くがアメリカ車の考え方やアプローチを参考にして成長してきた。そうした時代的な背景も日本の自動車メーカーがどこも大衆車ブランドばかりになったポイントといえるだろう。