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自動車コラムニスト山本晋也さん最終的に行きついたのはエブリイバンだった! 【みんなの愛車遍歴 Vol.2】 (2/2ページ)

自動車コラムニスト山本晋也さん最終的に行きついたのはエブリイバンだった! 【みんなの愛車遍歴 Vol.2】

この記事をまとめると

■WEB CARTOP執筆陣の愛車遍歴を紹介、第2弾は自動車コラムニストの山本晋也さん

■最初のマイカーはスターレットGTで独立初期の相棒はアルミボディの2シーター

■経験することを優先したクルマ選びをしている

EP82スターレットから始まった愛車遍歴

 ども! 自動車コラムニストの山本晋也です。WEB CARTOPをはじめWEBメディアでコラムを書くようになって10年近くなります。ここ数年はトータルで年間500本前後の記事を書く機会をいただいていますが、もともとは自動車メディアで活動するとは思っていませんでした。

 そんな自分がマイカーを手に入れたのは1989年。ときはバブル経済真っ盛りで、大学生のバイトでも年間100万円はラクに稼ぐことができた時代でした。そんな社会的なムードの乗せられるように最初に買ったのは、当時デビューしたてのトヨタ・スターレットGT(EP82)でした。1331ccの排気量から135馬力を発生するFFハッチバックは、まさにじゃじゃ馬という乗り味で、M山やO垂水といった峠を、心拍数を上げながら走ったものです。このドライビングによって刺激を貰うという原体験が、自分をクルマ好きにさせていきました。

 当時、いまでいうインターン的に週刊誌の編集部で働いていたのですが、他の週刊誌の編集長に「そんなにクルマ好きなら自動車雑誌で働けばいいじゃない」というアドバイスを貰って、大学4年生の秋口になってから自動車雑誌を出している出版社に履歴書を送り、なんとか潜り込んだのが、いまは解散してしまった某出版社。そこで8年ほど編集者として経験を積みました。

 出版社勤務時代には、いすゞ・ジェミニZZ-R、ランチアY10、トヨタMR2(AW11)などを経て、仕事に関係してスズキ・ワゴンR、スズキ・キャラ(AZ-1の兄弟車)、ダイハツ・ミゼットIIなどに乗っていました。

 その後、20世紀の終わりにあわせて独立。フリーランスになって最初に買ったのは、まさに未来のクルマといわれていたホンダ・インサイト(初代)です。超軽量で空力優先のアルミボディと1リッター3気筒エンジン+薄型モーターのハイブリッドパワートレインという組み合わせは、自動車中心のフリーライターとしてポジションを確立するには、経験すべきクルマだと思ったことが選んだ理由です。

 そして、あえて5速MT車を選んだのは、それまでの車歴がすべてMTだった流れだったから。当時、200万円を超えるクルマを買うというのは思い切りが必要で、退職金を全額注ぎ込んでも足りないくらいの価格でしたが、なんとか工面して購入したという記憶があります。リヤタイヤをカバードしているスタイルはお気に入りでした。

 それにしても初代インサイトの高速巡行ではまったく走行抵抗を感じないような走行フィーリングは異次元で、通常のクルマはいかに空気抵抗が大きいのかを実感できたことは、いまも記憶に残っています。高速燃費は安定して25km/L程度で、当時としては驚異的でしたが、ストップ&ゴーの多い街乗りではハイギヤードなMTゆえかエンジン回転を高めにする必要もあって、それほど燃費メリットがなかったこともおぼろげに記憶に残ります。

 その後、さすがに2シーターだけで生活するのはきびしいとなって手に入れたのが、スズキ・スイフトSE-Z(HT51S)でした。当時、「泣く子も黙る79万円」と非常にリーズナブルなコンパクトカーとして話題を集めていたスイフトSE-Zは、さらに新古車と呼ばれていた登録済み未使用車になると新車価格の10万円安で流通しており、そんな個体を見つけて購入したのでした。

 じつは、これが人生初のAT車となりましたが、純粋なアシとして大いに活躍してくれました。全幅1600mmながらラゲッジスペースの幅は広く、後席をたたまずともゴルフバッグが積めたのは軽自動車で鍛えられたスズキのパッケージング能力の高さを実感することにもなりました。ブレーキランプが点いたり消えたりする症状には閉口しましたが……。

 そうして2台体制ができるようになったのは、フリーランスとしてそれなりに仕事をいただけるようになっていたから。30代半ばの頃には、年間100万文字以上は原稿を書いていたこともあって、懐に余裕が生まれてきます。

 また、メーカー主催のメディア向け試乗会などに参加する機会も増えてきます。そうした中で、試乗会で乗って、あまりの出来の良さにすぐさまディーラーを訪れて契約してしまったのが、トヨタ・クラウンでした。

 通称ゼロクラウンと呼ばれたGRS18#型に2005年秋のマイナーチェンジで追加された3.5リッターV6エンジン「2GR-FSE」の持つ日常的な乗りやすさにつながるリニアリティ、フルパワー域まで回したときの排気量を感じさせない軽快さに惚れ込んでしまい、清水の舞台から飛び降りる気持ちで契約書にサインしたものです。そんなクラウンと過ごした数年は、日本で乗ることを最優先して考えたクルマづくりの凄味というものを感じることができました。

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