この記事をまとめると
■日産の顔だったブルーバードは12代も続いたクルマだった
■13代目にあたるモデルは「シルフィ」と名付けられたが2021年10月に販売終了
■海外では「セントラ」や「パルサー」としてブルーバードの系統が生き残っている
販売台数が2年以上トップだったこともある日本を代表するセダン
2021年10月にひっそりと日産のウェブサイトから姿を消し、終売となったシルフィ。日産のミドルクラスセダンとして前身のブルーバードから60年以上続いた歴史に一旦幕を引く形となった。
ブルーバードの始まりとなったのは1959年に登場した「ダットサン・ブルーバード」であり、ダットサンブランドからリリースされる本格的な4輪乗用車としてスタートを切った。
デビュー翌年には日本初のステーションワゴンモデルが追加され、1961年には日本初の女性仕様車と呼ばれる「ファンシーデラックス」を設定するなど、エポックメーキングなモデルとしても知られた。
1963年には2代目へとフルモデルチェンジ。ブルーバード=スポーツセダンというイメージを確固たるものにした「SSS(スーパースポーツセダン)」グレードを設定したのもこの2代目モデルだった。
そして1967年には未だに「ゴーイチマル」の愛称で愛される3代目モデルの510型が登場。北米市場でも大ヒットとなったほか、モータースポーツでも活躍。石原裕次郎主演の「栄光への5000キロ」でも主役級の扱いとなり、未だに高い人気を誇っているのはご存じのとおりだろう。
1971年に登場した4代目は車格の上級移行に伴い、車名も「ブルーバードU」へと改められ、ボディも大型化。上級グレードには6気筒エンジンを搭載したグレードも設定されていた。
1976年に登場の5代目も先代に引き続き大柄なボディとアクの強いエクステリアを持っていたが、この2世代は従来のブルーバードのイメージと異なるものだったため、販売面でも苦戦を強いられていた。
その反省を生かして1979年に登場した6代目モデルは6気筒モデルを廃止し、直線的でシンプルかつクリーンなデザインとなったことで人気が復活。遅れて登場したターボモデルもその人気の追い風となり、小型車クラスで27カ月連続新車登録台数第1位を記録するなど、大ヒットモデルとなった。