販売されたら歴史が変わったかもしれないコンセプトカーも監修
2)三菱コルトCZC
2000年で国内販売を終了した三菱のコンパクトカー、ミラージュの後継車種として2002年に登場したコルト。ダイムラークライスラーとの共同開発で生まれたこのモデルは、「まじめ、まじめ、まじめ」のキャッチコピーとともに、コンパクトカーの本質を追求したモデルとして一定の評価を集めていた。
このコルトのデザインを手掛けたのはピニンファリーナではなく、当時の三菱のデザイン部門のトップだったオリビエ・ブーレイ氏であり、同時期のランエボやグランディスにも用いられた「ブーレイ顔」は良くも悪くも話題となった。
ではピニンファリーナは何を担当したのかというと、それは2006年に欧州で販売されたクーペカブリオレ版の「コルトCZC」だったのだ。じつはピニンファリーナは車両をコンバーチブル化するにあたってのリデザインも得意としており、かの有名なシティカブリオレもピニンファリーナの作品だ。
コルトCZCもコルト本来の丸みを帯びたデザインを崩すことなく、クーペカブリオレ化がなされており、テール周辺も調和がとれていることが分かるだろう。
残念ながら日本では販売されなかったのは、リデザインだけでなくルーフの架装までもがピニンファリーナの工場で行われており、輸出のコストがかかってしまうという判断だったのかもしれない。
3)ピニンファリーナ(ホンダ)アルジェント・ヴィーヴォ
1995年の東京モーターショーに設けられたピニンファリーナブースに展示されたのが、水銀という意味を持つアルジェント・ヴィーヴォだ。ノーズ部分やステアリングにホンダのエンブレムが備わることからもわかるように、ホンダとピニンファリーナの友好関係の証として共同開発されたモデルだった。
アルミ製のスペースフレーム構造のシャシーにはホンダのSOHC直列5気筒2.5リッターエンジンが縦置きされ、後輪を駆動するとアナウンスされていたが、奇しくも向かいのホンダブースにはS2000の基となった「SSM」が展示されていた。
つまり、この2台のコンセプトモデルは兄弟車関係にあると言え、アルジェント・ヴィーヴォは市販こそされなかったが、ピニンファリーナが手掛けた日本車と言って差し支えないだろう。