この記事をまとめると
■昔の日本車では輸入車とそっくりなクルマがあった
■そっくりなクルマは「和製○○」なんて揶揄されたこともある
■外観のみならず乗り味などもそっくりに似せてたクルマもあったがそれはそれで人気だった
たとえ見た目はソックリでも中身は日本車の個性全開
今では外車にそっくりな日本車などまずないのだが、昔は和製○○なんて呼ばれた、世界の名車に似ている、というか、明らかにリスペクトし、モチーフにしたようなクルマがあった。
たとえば、1978年に登場した初代マツダ・サバンナRX-7はデビュー当時、まことしやかにプアマンズポルシェなんて呼ばれていて、実際、当時のボクの彼女が愛車のケロヨングリーン!? のRX-7に乗っていて、ある日突然、憧れのポルシェの純正の赤に塗り替えたりしていた。
もっとも、ポルシェと言っても911ではなく、1975年デビューのフォルクスワーゲンの部品を多用した、リトラクタブルヘッドライトのポルシェ924似だったのだけど、RX-7は世界市場でポルシェ924とライバル関係になったのも事実。ポルシェ924の販売を脅かしたとされる1台でもあったのだ。
三菱にはかつてGTOというアメリカンなスポーツカーがあり、アクティブエグゾーストシステムによって排気音を変えられたり、ゲトラグ社製の5/6速MTが用意されるなど、90年代の国産スポーツカーとしてかなり本格的であった。ところが、赤いボディカラーがメインで、それがどうやら和製フェラーリと呼ばれた所以のようだ。実際にはMITSUBISHI 3000GTという車名で北米を中心に輸出されていたアメリカンスポーツのキャラクターだったのだが。