女性カーライフ・ジャーナリストまるも亜希子さんの運命を決定づけたクルマとは!? 【みんなの愛車遍歴 Vol.1】 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■まるも亜希子さんは現在カーライフ・ジャーナリストとして活躍している

■今までさまざまなクルマ乗り継いできた

■今回は自身の愛車遍歴について語っていただいた

初めての愛車はフォルクスワーゲン・ビートル

 両親ともとくにクルマ好きというわけでなく、男の兄弟がいなかったこともあり、生まれてからまったくクルマに興味のない生活をしてきた私でしたが、地方の大学に入って一人暮らしをしたところ、「クルマがないと通学も遊びも不便で仕方ない」と気づき、猛烈にバイトをして貯めたお金で20歳で遅めの免許取得。初めてのマイカーを買う予算は、わずか30万円でした。

「最初はやっぱり日本車のほうがいいかな」と漠然と考えたものの、カーセンサーを見ても30万円で買える日本車にはまったく魅力を感じず、相談したのは当時よく一緒に遊んでいた先輩たち。そこで勧められたのが、その先輩たちがハマりはじめていたフォルクスワーゲン・ビートルでした。予算内で買える個体を探してもらったら、年式不明でおそらく1974年式とのこと。でも、カブトムシと呼ばれたデザインはもちろん、ソファみたいなシートや小さなハンドル、床からビヨ〜ンと生えたペダルやシフトレバーもすごく気に入って、ちょっとヘンな私のカーライフがスタートしたのでした。じつはこれが、のちの私の人生まで変えることになるとは、まだ知るよしもありません。

 カブトムシとのカーライフは、当時全国的に流行っていたフォルクスワーゲン車のイベントやツーリング、スワップミートと呼ばれる西海岸のクルマ文化を感じさせる集まりまで、毎週のようにあちこちに出かけてクルマの楽しさを満喫させてくれるものでした。同じ車種でも、思い思いに自分の好きなカスタムをして乗っている人ばかりのビートル。私もスイッチをサイコロの形に変えたり、アイボリー色のボディのフェンダーだけをブラックに交換したりして、着せ替え人形みたいに楽しんでいたのを思い出します。ツーリングに出かければ、必ず誰かのクルマが壊れたり調子が悪くなり、仲間たちでその場で直したり、牽引して帰ったり。当時はまだ、走っている時に同じビートル同士ですれ違うと、パッシングをし合って合図したりするのも、知らない人と同じクルマでつながっているような、不思議な感覚があって楽しかったものでした。

 そんな感じでドップリとクルマ漬けになってしばらくすると、フォルクスワーゲンのイベントでよく見かける、カルマンギアというクルマに憧れるように。カブリオレとクーペがあり、狙うはもちろんカブリオレ。でも、当時はとても人気車種で、安くても300万円くらいの値がついていたのです。貧乏学生にはとても手が届かず、いつもヨダレを垂らして眺めていたのですが……。

※写真は広報画像

 そんな私を見て不憫に思ったのか、お世話になっていたショップのメカニックさんが、「カルマンギアに似てるクルマが70万円であるよ」と教えてくれたのです。車名を聞いてもよくわからず、当時はまだパソコンもスマホもなかったので調べることもできず。でも直感で「買います!」と即答。後日、そのクルマと対面して、それがフィアット124スパイダーというイタリアのオープンスポーツカーだということを初めて知りました。ボディカラーがちょっとイケてなかったので、なけなしの10万円でイエローにオールペンしてもらうと、そもそもピニンファリーナがデザインした流麗なスタイルだったボディは、見違えるようにステキに! こうして2台目の愛車は、1978年式のフィアット124スパイダーとなりました。


まるも亜希子 MARUMO AKIKO

カーライフ・ジャーナリスト/2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
MINIクロスオーバー/スズキ・ジムニー
趣味
サプライズ、読書、ホームパーティ、神社仏閣めぐり
好きな有名人
松田聖子、原田マハ、チョコレートプラネット

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