コルクに織機に航空機! 国産自動車8メーカーの起源が面白かった (2/2ページ)

マツダはコルク屋さんだった

 現在、トヨタ傘下のダイハツ工業は、日本でもっとも歴史のある自動車メーカーといわれることも多い。その創業は1907年。当初の社名は「発動機製造株式会社」というもので、発動機すなわちエンジン製造をもっぱらにする企業だった。その後、同社のエンジンを使った3輪トラックによって自動車製造に進出している。「大阪の発動機会社」ということでダイハツという愛称で親しまれていたが、そのまま社名に使ってダイハツ工業と改称したのは1951年だ。トヨタとの業務提携が始まったのは1967年、それからどんどん関係を密にしていき、2016年には完全子会社となり、上場廃止となった。

 日本初の量産乗用車を生み出したブランドが三菱だ。量産といっても総生産台数22台だったのだが、1917年に誕生ということを考えると市場規模的にも十分に量産といえるだろう。当時の社名は三菱造船で、その後三菱重工業へと改称している。1962年には愛知県岡崎市にテストコースを作るなど自動車製造にも注力していった。

 そんな三菱重工業から自動車製造部門が独立したのは意外にも遅く、1970年のこと。そのときに三菱自動車工業という純粋な自動車メーカーとして生まれ変わった。乗用車ブランドとしての長い歴史を持ちつつ、四輪完成車メーカーとしてはもっとも若いのが三菱自動車工業なのだ。

 スバルのクルマを作っているのは、その名もSUBARUという会社だが、2017年に現在の名前に改称する以前は「富士重工業」という社名だった。そのルーツは戦前に多くの軍用機を生み出した中島飛行機にあることは有名だ。同社の創業を遡っていくと、原点は1917年に設立された飛行機研究所になる。第二次世界大戦後、中島飛行機は解体されるが、1953年に旧中島系の主要企業が合体して生まれたのが富士重工業となった。

 その中には1946年からラビットスクーターを製造していた富士産業も含まれ、富士重工業は当初からモビリティカンパニーという立ち位置となっていた。1958年には初のSUBARUブランドのモデルとして軽自動車「SUBARU360」をリリース、1966年に生み出したSUBARU1000において水平対向エンジンを採用、それをアイデンティティとして現在に至っている。

 ここまで紹介したブランドは、いずれも機械工業を主体とする企業がルーツであったが、まったく毛色の違う業種から自動車産業に転換してきたのがマツダだ。その原点は、1920年に設立された東洋コルク工業で、名前の通り圧搾コルク板を作る企業だった。

 コルク工場の全焼といった事態により機械工業への業態変更を行い、1927年には東洋工業に改称、1930年代には3輪トラックに進出してMAZDAブランドを浸透させていく。1950年には四輪トラックの生産を始め、1960年には初の乗用車となるR360クーペを誕生させている。

 1967年にロータリーエンジンの市販化に成功したこともブランドの価値を高めた。そうして1984年に社名を現在のマツダへと変更している。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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