この記事をまとめると
■現在の日本の乗用車メーカーは8社ある
■全社が最初から自動車メーカーだったわけではない
■この記事では各社のルーツを辿る
日産とホンダは生粋の自動車屋!
日本には現在8社の乗用車メーカーがある。一国にこれだけのメーカーが存在しているというのは珍しいといえるが、はたしてどこも最初から自動車メーカーだったわけではない。あらためて、各社のルーツを辿ってみることにしよう。
まず、そもそもモビリティカンパニーとして生まれた純粋な自動車メーカーといえるのが日産自動車だ。日産という名前は「日本産業」に由来するもので、日本産業は重工業王と呼ばれた戦前の大実業家である鮎川義介が総帥を務めた日産コンツェルンの中心にあった企業となる。そのグループにおける自動車製造を担う企業として1933年12月に、その名も「自動車製造株式会社」が設立され、1934年6月に日産自動車へと改称して現在に至っている。
もう一つ、創業当時からメインの業態がモビリティで変わっていないのがホンダだ。ご存じのとおり、創業者は本田宗一郎氏で、1946年に本田技術研究所として浜松でスタートした。1947年に生み出したA型エンジン(発電用エンジンを改良した自転車用補助エンジン)がHondaブランドのスタートだ。その後、1948年に本田技研工業へと改称、1953年に初の耕運機を生み出し、1958年にはスーパーカブを売り出し、1963年には初の四輪車として軽トラック「T360」を誕生させた。そうした二輪・四輪・汎用機の総合メーカーとなったのだ。
浜松で二輪・四輪のメーカーといえば、スズキの名前を思い浮かべるが、同社のルーツは自動織機にある。創業は1909年で、当初の社名は鈴木式織機製作所というものだった。その後、バイクやクルマへの進出を決め、1952年には初の二輪製品である「パワーフリー号」を発売、1954年には鈴木自動車工業に改称している。1955年には最初の四輪製品として軽自動車「スズライト」を発売するなど、二輪と四輪をほぼ同時に展開した。そして、1990年には現在の社名であるスズキに改称している。
同じく自動織機をルーツに持つ自動車メーカーが、言わずと知れたトヨタ自動車である。豊田佐吉氏が愛知県刈谷市に豊田自動織機製作所を設立したのは1926年。そして1933年には同社内に自動車製作部門を設置した。しかし、そのまま自動車製造に移行したのではない。自動車部門を独立させ、1937年にトヨタ自動車工業という別会社として立ち上げたのが、現在のトヨタ自動車につながるルーツとなっている。なお、トヨタ自動車の初代社長を務めたのは豊田佐吉氏の婿養子となる豊田利三郎氏で、豊田喜一郎氏が副社長を務めていた。