この記事をまとめると
■本田技研工業株式会社(ホンダ)は日本の主要な自動車メーカーのひとつ
■それとは別にF1活動などを担う本田技術研究所が存在する
■両者の関係性について解説する
技研は研究所から設計図を買っていた
いわゆるホンダという自動車メーカーの正しい社名は本田技研工業株式会社だ。しかしホンダのF1活動などを担っているのは、株式会社本田技術研究所である。はたして、本田技術研究所とはどのような組織なのだろうか。
まず本田技術研究所という名前については、もともと本田技研工業の前身として本田宗一郎氏が1946年に立ち上げた会社名でもあるのだが、現在の本田技術研究所は名前こそ同じだが、組織としてはまったく異なる。
時系列で整理すると、本田技研工業が設立されたのは1948年9月。その段階では通常のメーカーと同じく、研究部門・製造部門・販売部門は一体化していた。そうした体制が変わったのが1960年7月で、そのときに現在の本田技術研究所が生まれている。ちなみに、ホンダの四輪車が初めて量産されたのは1963年であるから本田技術研究所は、それ以前から存在していた組織だったのだ。
研究所を独立させた狙いは、目先の利益にとらわれない研究に専念するためというもので、本田技術研究所は自由な研究をしながら量産車の設計図を本田技研工業に売るというビジネスモデルで成立する企業となった。現実的には、本田技研工業の売上から一定の比率で本田技術研究所へ支払うという関係性であったようだが……。
そのほか冒頭で記したようにモータースポーツに関する研究部門も本田技術研究所に置かれていた。F1活動の中心となっているHRD Sakuraは栃木県さくら市に新設された研究施設の名称といえる。
さて、ある意味で本田技研工業は量産車の設計図を本田技術研究所から買うという関係だったのだが、それは斬新な商品開発を期待できる一方で、コスト面では不利になるビジネスモデルでもあった。
実際、ホンダの利益率が他社に比べて低いのは研究所が独立していることによるコスト意識の希薄さに起因するという指摘は昔からあったし、本田技研工業サイドとなる調達部門・製造部門・販売部門との連携においても研究所が独立していることで、他社に比べて距離感があるというのも課題といわれていた。