いまでも45度バンクのなごりを見ることができる!
チューニングカーでは、あの伝説の「光永パンテーラ」が国内初300km/hオーバー、307.69km/hを記録したのが、1981年の谷田部。国産チューニングカーではじめて300km/hの壁を破ったのは、「HKS M300」(セリカXX)の301.25km/h(1983年)。国産車で「光永パンテーラ」のレコードを塗り替えたのは、トライアル3LツインターボZ(1984年)の307.95km/h……。いずれも舞台は、谷田部の高速周回路。
その後、日本自動車研究所は、つくばエクスプレスの開通に伴い、2005年にテストコース機能を茨城県城里町に移転。かつての高速周回路だった部分の大半は取り壊され、商業施設やつくばエクスプレスの研究学園駅、公園などになってしまった。しかし、茨城県つくば市学園南2丁目8-5(県道123号の西岡交差点から、北に185m)に、あの45度バンクの一部が切り取られたように保存されている場所がある。
なかに立ち入ることはできないが、フェンス越しに覗くことは可能。
真冬の早朝、筑波おろしの強い風が冷たく、凍えながら光電管や小野ビット(計測器)をセッティングした思い出がある、当時の自動車雑誌編集部員も今ではもう50歳前後のオジサンばかりだろうが、あの頃の自動車好きにとって、谷田部は特別な地。
外周路や中庭の芝生のうえでも、よく撮影が行なわれていたし、テストが早朝だったため、研究所内の宿泊施設に前泊することも多かった。(余談だが、谷田部の日本自動車研究所の正門前が、1985年の筑波科学万博の会場だった)
グーグルMAPにも「旧JARI(谷田部) 45度バンク」(観光名所!)として載っているので、かつての最高速アタックの聖地、“谷田部”の痕跡を見に行ってみるのもいいのでは?