この記事をまとめると
■ライフスタイルの違いなどから、アメ車は日本であまり馴染みのない存在となっている
■1960年代から俗にいう「マッスルカー」たちが多く生まれた
■SUV市場でもアメ車は世界中に大きな影響を与えている
アメリカ車は「アメリカンドリーム」の象徴だった
日本人とってアメ車とは、いつになっても「遠い存在」であるように思える。なぜならば、日米では社会環境が大きく違い、それに伴うライフスタイルが違うことで、人とクルマの関係で日米での差はずっと埋まらないからだ。
時計の針を戻すと、戦後から60年代の高度成長期に、アメ車は日本人にとってアメリカドリームという名の憧れだった。
2ドアクーペでも、4ドアセダンでも、ボディやエンジンが大きく、派手で立派でカッコ良く。その当時は、マッスルカーという言葉を日本で耳にすることはまずなかった。また、ピックアップトラックの存在についても、日本人は関心が高いとは思えなかった。
70年代となり、排ガス規制とオイルショックのダブルパンチで、アメ車の存在意義が問われるようになる。一方で、小粒でも壊れにくく信頼性が高い日本車がアメリカ市場で注目を浴びるようになる。
その後、90年代から2000年代にはSUV市場の急拡大によって、グローバルでアメ車復活の機運が高まり始めた。
また、ライフスタイルの変化から、商用が主流であるピックアップトラックの乗用車も広まっていく。
こうしたアメ車の変遷の中で、時代の流れを変えたアメ車をいくつか選んでみたい。
1)フォード・マスタング
60年代を代表するのは、フォード「マスタング」だ。日本では長年「ムスタング」と表記されてきた。
セダンの派生クーペとして生まれたが、大衆向けの気さくなクルマとして「ポニーカー」と称された。
技術開発とマーケティング活動の一環として、スポーツカーレースシリーズ「トランザム」に参戦したことで、ハイパワー化が進み、これが量産モデルとして市場に還元された。トランザムシリーズのみならず、アメ車のワークス活動はドラッグレースや、ストックカーレースにも広がる。GMはシボレー「カマロ」、またクライスラーは「チャレンジャー」を擁した。
こうしたクルマたちが、マッスルカーと呼ばれるアメリカンドリームとなった。