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【試乗】最後に手に入れたスーパーハンドリング! 30台限定の「NSXタイプS」が見せた圧巻の操縦性とは (3/3ページ)

【試乗】最後に手に入れたスーパーハンドリング! 30台限定の「NSXタイプS」が見せた圧巻の操縦性とは

F1黄金期の裏側で密かにNSXの開発が進められていた!

 ホンダ青山のショールームでF1が展示されている。記憶に残るのは赤白のマルボロカラーで塗られたマクラーレンホンダだ。このF1参戦はホンダとしては第二期の挑戦だったが、眩しいばかりのMP4/4は1988年、16戦中15勝とF1史に残る快挙を演じていた。赤白マシンの中でも、ゴードン・マレーがデザインしたMP4/4は、明らかにドラビングポジションが低く、低重心+低空気抵抗というレーシングカーの基本に忠実だったことが見て取れる。

 こうして赤白マシンがセナ&プロスト、セナ&ベルガーによって、世界中のサーキットを走っているとき、栃木県にある本田技術研究所では本格的なスポーツカーの開発プロジェクトが進められていた。コードネームはNSX。NはNEWを示し、SはSPORT、Xは未知との遭遇を意味していたのかもしれない。

 コンセプトはポルシェやフェラーリとは異なる新しいスポーツカーの提案だった。ゴードン・マレーのMP4/4のように、低重心と軽量化が基本コンセプトとなり、そのために当時の自動車業界の常識では考えにくい、オールアルミのモノコックボディを開発した。

 パワートレインはレジェンドで使っていたV6横置きエンジンをミッドシップに搭載し、技術的にはABSやトラクションコントロール、エアバッグなどの安全装備も充実していた。開発の途中でリヤにトランクが追加され、実用性も高まったのである。

 このNSXは1990年に登場するが、すぐに軽量モデルが登場し、タイプRと命名された。2002年にNSXは大きなモデルチェンジが行われ、エンジンは3リッターから3.2リッターにパワーアップ、初代のコンセプトを維持したまま、エンジンとシャシーのパフォーマンスは高まっていた。だが、環境問題などが理由で1990年から続いたNSXは一旦幕を閉じることになった。

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