ストラトスの名手をもってしても直進させるのは難しかった
「では、おクルマお借りします。現地を出るときに一度ご連絡さしあげますので」と当時の常套句ともいえる締めの挨拶を交わし、冷静を装ってストラトスに乗り込む。ドアハンドルは、当時のイタリア車が多く使っていたものだから(メーカーなど知らないけど)心配はなし。ドライバーズシートに身を沈めると、まずはヘルメットさえ収納できそうなドアポケットと、丸型のメーターが7個も並ぶメーターパネルが目に入る。
フロントガラスは大きく湾曲し、Aピラーはロールオーバーしたら死ねと言わんばかりに細いが、その分視界は良好。逆に後方視界は無いに等しい。まあこのクルマを選んで突っ込もうなんていう輩はいないだろうと心を落ち着かせる。
安全第一ということで、もっとも近いランプから首都高速に乗る。この頃になるとずいぶんクルマ運びのプロとしての余裕もできていたので、ちょっとだけ、そうちょっとだけだがストラトス本来の走りを試したくなる。偶然にも前方にはほかのクルマの姿は皆無だ。
「うぁ、真っ直ぐ走らないよこれ、むちゃくちゃ怖いんですけど〜」。考えてみればストラトスのホイールベースは前で触れたとおり2180mm。かのパオロ・スタンツァーニの秀作のひとつに数えられるウラッコでさえ、2+2という事情はあるもののホイールベースは2450mmもある。
ストラトスは、ランチアの狙いどおり1974年、1975年、1976年の3年間にわたってWRCを制覇するが、このときのドライバーのひとりだったサンドロ・ムナーリに、筆者は後日インタビューしたことがある。
このとき彼はすでにリタイヤし、ランボルギーニの広報という役職にあったのだが、私の「ストラトスは真っ直ぐ走りませんよね?」という質問に対して、「そうだね、高速道路のひとつの車線をずっとドリフトで走れというのは簡単だけど、普通に直進走行するのはそれよりずっと難しい。で、そのストラトスは無事に返却することができたのかい」
もちろん1時間近くかけて、手洗い洗車して返却いたしましたとも。当時の私はクルマ運びのプロでございましたから。あ~あ、不景気なので難しいとは思いますが、またこういう仕事、復活しないかな。