昔の日本には「三輪車」が溢れていた! 一周回ってカワイすぎる「日本のモノ運び」を支えた時代のクルマたち (2/2ページ)

1950年代に軽自動車規格の3輪トラックが流行

 戦前に3輪トラックが流行した理由としては、実質的に無免許で運転できたこと、シンプルな構造ゆえに安価なモビリティであったことが挙げられる。

 戦後になると状況は一変する。1947年には運転免許が必要になり、同時に小型3輪車の排気量上限は1500ccまで拡大された。3輪トラックは雨風を凌げるキャビンタイプとなり、4輪小型トラックの廉価版といった位置づけで売れるようになる。

 とはいえ、4輪トラックに比べてコーナリングの安定性の面で劣る3輪トラックは徐々に姿を減らしていく。またキャブオーバーの4輪トラックと比べると全長に対して荷台の占める割合が少ないというのもネガとして見られたという。

 そうした状況において、戦前からつづく3輪トラック三大メーカーのひとつ、日本内燃機の流れを汲む「東急くろがね工業」は1962年に自動車製造から撤退しているし、ダイハツやマツダは3輪トラックの経験を活かして4輪車へシフトしたのはご存じのとおりだ。

 一方、1950年代に新しいカタチとして増えてきたのが、冒頭で記したように1950年代の風景に欠かせない360cc軽自動車規格の3輪トラックだ。

 ダイハツ「ミゼット」、マツダ「K360」といった軽3輪トラックは日本中の街を走り回っていた。とはいえ、そんな時代も長く続くことはなく、ほどなくして軽自動車にも4輪トラックが生まれてくると、3輪トラックは姿を消すことになる。

 しかし、そのスピリットは消えたわけではない。ダイハツの軽トラックの名前は「HIJET」と書いてハイジェットではなく「ハイゼット」と読むが、これはミゼットの兄貴分であるという思いを込めたものである。ミゼットの精神はいまも生きているのだ。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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