ホンダであってホンダにあらず! 日本導入は見送られた北米展開のブランド「アキュラ」とは (2/2ページ)

現在まで日本展開されていないアキュラだがニアミスはあった

 現在に至るまで、日本ではほとんどの馴染みのないアキュラブランドだが、ニアミス的なものは幾度かある。そのひとつが2001年にホンダ・ベルノ店で発売された上級SUV、ホンダMDXだろう。3列シート、3.5リッターV6を搭載し、横幅は2mにも迫る大柄なボディで従来のホンダ車とは異なるテイストのデザイン、五角形をモチーフにしたフロントグリルなど、日本ではホンダのエンブレムを付けていたものの、アキュラMDXそのもので、そこからは当時最新鋭のアキュラのフィロソフィを感じ取ることができた。

 他にも3代目ビガー(初代インスパイアの姉妹車)、2~3代目のインスパイアはアキュラTLとほぼ共通のメカニズム、内外装意匠となっている。

 また、その後撤回されたが、2008年から日本でもアキュラブランドが展開されるとの公式発表がなされたことも記憶に新しい。

 2008年といえば、その年末に日本における8代目アコードがデビューしているが、このクルマこそが本来日本に於けるアキュラ戦略の中核を担うはずであったプレミアムセダンのTSXであり、それをアコードとして販売したため、先代に比較してかなり割高に思える価格設定(セダンが税抜249~390万円、ツアラーが税抜274~412万円)とせざるを得ず、販売面でも苦戦を強いられる要因のひとつとなった。

 もうひとつ記憶に残るのは、ホンダ自らも1980年代末から3代目、4代目のアコードの左ハンドル車を販売したことなどから、”アメリカ仕様のホンダ車はカッコいい”という意識を若いクルマ好きに広め、USDM(アメリカ仕様車)というカスタムトレンドを生み出す原動力となった点だ。これによって日本仕様のインテグラやレジェンドに乗る若者が、こぞってエンブレムを「H」マークから「A」マークに変更したことで、アキュラがより一層身近になった時代も今となっては懐かしい。

 大トヨタでさえレクサスを定着させるために、2005年の日本導入後、紆余曲折を得て、ここ数年でようやくセルシオの記憶がLSによって上書きされたかな、というくらいの時間を要した。それを踏まえてみても仮に今アキュラが日本に導入されても、周知されるまでには随分と長い時間が必要になり、またそのメリットというのも見出し難いことから、日本の路上を「A」バッジを付けた右ハンドル車が行き交う光景は望めなさそうだ。

 いずれにせよV37スカイラインやY51フーガに日産が突如インフィニティバッジをつけて、何の説明もなくまた日産エンブレムに戻す、といったぞんざいなプレミアムブランドイメージの濫用だけはご勘弁願いたいところだ。


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