日本は「スーパーカー不毛の地」じゃなかった! F1エンジン搭載車もある圧巻の歴史 (2/2ページ)

バブル景気の勢いそのままに日本製スーパーカーが開発された

 その後バブル景気が押し寄せると、ホンダに続いていくつかのメーカーがF1参戦を目論み、エンジンを開発する。するとそのエンジンを積んだスーパーカーが現れた。ジオット・キャスピタとヤマハOX99-11だ。

 ジオットは衣料品メーカーのワコールが立ち上げたプロジェクトで、童夢が開発を進めた。エンジンは富士重工(スバル)がイタリアのモトーリ・モデルニと共同開発した3.5リッター水平対向12気筒だった。

 ヤマハ発動機は自身が開発して実戦に投入していた3.5リッターV12の形式名OX99を搭載。デザインは由良拓也氏率いるムーンクラフトが担当した。モーターサイクルを思わせる前後2人乗りとしていたことも特徴だ。

 しかし日伊合作のフラット12はF1では予備予選すら通ることがなくまもなく開発中止となり、実績のあるイギリスのジャッド製V10に積み替えたが、そのうちにバブルが弾けてプロジェクトが終了した。ヤマハもバブル崩壊の影響を受け、市販化はならなかった。

 1990年中盤になると、今度はル・マンを舞台に新たな動きが起こる。プロトタイプのレギュレーションを厳しくする代わりに、1台だけ作ればOKというGTカテゴリーが新設され、このルールを使い作られたポルシェ962Cベースのダウアーが1994年に優勝したことから、いくつかのメーカーが同様のクルマで挑戦したのだ。

 日産R390とトヨタGT One TS020も、こうしたルールに沿って生まれたもので、3.5/3.8リッターV8ツインターボエンジンを始め、中身は限りなくプロトタイプだったが、それぞれ1台ずつロードカーが作られた。

 R390は1998年総合3位、TS020は翌年GT1カテゴリーが消滅した中で2位を記録している。

 童夢に続いてル・マンで結果を残したわけで、日本のスーパーカーづくりの実力はそんなに低いわけじゃないことがわかる。


森口将之 MORIGUCHI MASAYUKI

グッドデザイン賞審査委員

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2023ルノー・トゥインゴ/2002ルノー・アヴァンタイム
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ネコ、モーターサイクル、ブリコラージュ、まちあるき
好きな有名人
ビートたけし

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