この記事をまとめると
■1度去ったモデルも、何年か後に新しく復活することがある
■しかし、冠しているのは名前だけでまったく別物になってるケースが結構ある
■往年のファンからすれば、違う姿になったのであれば車名が違う方が嬉しいのかもしれない
もういっそのこと、別の車名にしたほうがよかったクルマたち
もし、かつて乗った、思い入れのあるクルマの名前が復活し、しかし別物のクルマとなってデビューしたら、あるいは、お気に入りの先代とはまったく別物のように思える新型が登場したらどうだろう。当然、時代に沿った進化はあるものの、その車名に納得できないこともありそうだ。
1)いすゞ・ピアッツァ
たとえば、かなり古い話で恐縮だが、筆者も所有していた、1981年に華々しくデビューした、いすゞ117クーペ(これも所有していた)の後継者となるいすゞ・ピァッツァだ。初代ピアッツアは、イタリアの巨匠デザイナー、G・ジウジアーロのデザインで、アッソ・デ・フィオーリと呼ばれたデザインコンセプトカーに限りなく近いエクステリア、インテリアのまま登場し世間を沸かせたものだ。エクステリアではまつ毛のようなセミリトラクタブルヘッドライト、流麗な2ドアクーペボディ、インテリアでは先進感溢れるサテライト式コクピットが新鮮だった。
また、ロータス社とのコラボで生まれた、ハンドリング・バイ・ロータス、輸入車ディーラーのヤナセ専用車種のピアッツァ・ネロのバリエーションも人気だったことを覚えている。とにかくスタイリッシュで先進的な1980年代のデザイナーズカーの1台である。
ところが、1991年に登場した2代目いすゞ・ピアッツァは、プラットフォームをジェミニと共用するところは初代と同じでも、エクステリア、インテリアはまったく別物。日本人デザイナーのデザインであり、初代のあの流麗で先進感あるスタイル、デザインとは大きく異なったのである。
ボクのところにもセールスマンが「新型はどうですか」とやってきたのだが、G・ジウジアーロファンとしては、決して首を縦に振らなかった。両車を見比べれば、初代のオーナーが「2代目はピアッツァじゃない」と思えたのもわかるはずである。
2)スバル・ジャスティ
もう1台、古いクルマの話をさせてもらおう。それは、スバルのジャスティだ。1984年に登場した初代ジャスティは、スバル初の1リッターエンジンを搭載し、世界で初めてCVTを採用(1987年~)したスバル渾身のコンパクトカー(もちろん4WDもあった)。翌秋には「火の玉ボーイ」なる3気筒1.2リッター9バルブのエンジンを搭載したモデルも登場し、さらなる話題をさらったのである。
初代ジャスティは1994年に生産終了。そして2016年に車名が復活。しかしその中身は、ダイハツ・トール、トヨタ・ルーミータンクのOEM車であった。
トール、ルーミー、タンクは素晴らしい両側スライドドアを持つコンパクトカーだったのだが、スバルファン、初代ジャスティファンからすれば、スバルが開発したクルマではなく(中身はダイハツ製)、また、ファミリーカーテイストの強さに抵抗があって当然だろう。スバルの名車の名前をつけてほしくなかった……という声も上がっていたようだ。