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かつて「打倒クラウン」に各社は燃えた! トヨタの絶対王者に挑んだ国産セダン5選 (2/2ページ)

かつて「打倒クラウン」に各社は燃えた! トヨタの絶対王者に挑んだ国産セダン5選

この記事をまとめると

■セダンが不人気な現代でもクラウンは月2000台ほど売れている

■高度経済成長期からバブル期まではクラウンのライバルが各社から出ていた

■クラウンを含め今後のセダン市場の動きに注目だ

セダンが輝いてた時代の絶対王者に挑んだ刺客たち

 国産セダン冬の時代と言われて久しい。象徴たるトヨタ・クラウンは月販2000台程度で推移しているし、ほかに4ドアセダンを用意している国産車といっても、売れているのはトヨタ・カローラ、スバル・インプレッサ、マツダ・MAZDA3くらい。それ以外のモデルはラインアップには残っていても、販売台数は微々たるものとなっている。

 とはいえ、かつてはクラウンを頂点に国産セダンがしのぎを削っている時代があった。そして王者クラウンに対して、各社は刺客を送り込んでいたのだ。そんなクラウンのライバルとして一時代を築いたモデルを振り返ってみよう。

1)日産セドリック/グロリア

 まず、クラウン最大のライバルとして知られていたのが日産セドリック/グロリアだろう。もともと日産セドリック、プリンス・グロリアという異なるモデルだった2台が、兄弟車となったのは1971年にフルモデルチェンジした3代目から。

 以後、2004年に生産終了となった10代目まで「セド/グロ」の愛称で、日産のプレミアムサルーンとして親しまれた。6気筒エンジンを基本としたグレード構成で、ボディ形状もステーションワゴンや2ドアセダンなど時代のニーズに合わせて用意したのはクラウン同様。

 まさにガチのライバルとして30年以上も競ってきた。その中でもエポックメーキングだったのは日本初のV6エンジン搭載車として1983年にフルモデルチェンジをした6代目(Y30型)だろう。

 同時期にフルモデルチェンジした7代目クラウンが「いつかはクラウン」というお馴染みのキャッチコピーを初登場させて宣伝した一方、セド/グロはV6エンジンによる新しさをアピールした。

 その後、クラウンの敵失的な失敗モデルもあって、このカテゴリーではトップクラスのイメージを掴んだ時期もあったが、徐々に販売を減らしていき、2004年に10代目を最後にセドリック/グロリアの名前は消え、フーガが後継モデルとして設定された。

2)日産シーマ

 1988年にセドリック/グロリアの上級モデルとして登場したのが日産シーマだ(そのため、正式な車名はセドリック・シーマ/グロリア・シーマだった)。

 1987年にフルモデルチェンジでクラウンが3ナンバーボディを用意したことに対抗したシーマは、一目で3ナンバーとわかるワイドボディに、255馬力の3リッターV6ターボを搭載。フル加速時にリヤをグッと沈める姿勢はインパクト大で、自動車税の改正によって3ナンバー車の税負担が軽減されたタイミングもあって爆発的にヒット、「シーマ現象」と呼ばれるほどになった。

 しかし、その後モデルチェンジを繰り返していっても初代のインパクトを超えることはできず、いまやフーガのロングホイールベース仕様という位置づけになっている。

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