901運動が後にカルロス・ゴーンのリバイバルプランにつながる
クルマの理想像を追求しながら、次の時代の日産車の姿を明らかにする活動が901運動であり、そこから生まれた新車は、ほかにもパルサー、フェアレディZ、インフィニティQ45、セドリック/グロリアなど枚挙に暇がなく、それぞれに販売成績もよかった。
しかしながら、90年にバブル経済が崩壊したあと、国内自動車メーカー全体で業績が悪化するなか、日産はより守りの経営姿勢に転じ、901運動で生まれた技術は既存の財産として継承されたが、産まれてくる新車の魅力は色褪せはじめた。
そして他社との資本提携による生き残りを模索し、最終的にルノーとの提携に落ち着いて、カルロス・ゴーンが社長となり、リバイバルプランが実行されるのである。
再建のなかでも、R35ニッサンGT-Rが誕生したり、フェアレディZが存続したりした背景に、901運動から生まれた、技術の日産らしく世界と競合できる技術があったからこそといえるだろう。