そしてマツダがロータリーエンジンを進化させた
世界的な飛躍を目指したマツダ(当時の東洋工業)は、成長著しい自動車市場で成功を収めるには商品性や技術力を飛躍的に高めることだと考え、ロータリーエンジンに狙いを定めた。NSUと技術提携し、ロータリーエンジン車開発に乗り出した。その第1弾が、1967年のコスモスポーツだ。
1968年にはファミリア・ロータリークーペを発売。
1969年にはルーチェ・ロータリークーペも登場させるなど、次々にロータリーエンジン車を市販した。
ところが、1970年代は排出ガス浄化に世界の自動車メーカーが苦しめられることになる。レシプロエンジンと異なり、ロータリーエンジンは繭型といわれるハウジング(外筒)の内側をおむすび型といわれるローターが回転し、その側面にある燃焼室はハウジングの内側を移動しながら混合気を圧縮する。
すなわち、燃焼室が圧縮から排気へかけてハウジングの内側を移動していくため、混合気の燃焼温度が低めとなることから、窒素酸化物(NOx)の排出が少ない利点がある。一方、そもそも燃焼室形状が四角く、なおかつ燃焼温度が低いので、ガソリンが燃え切らず燃え残りとなる炭化水素(HC=ガソリンの組成となる元素)の排出量が多くなる傾向にある。これは、燃費の悪さにも通じる。
排出ガス浄化においては、サーマルリアクターと名付けられた熱反応(後燃焼)方式を採り入れることで乗り越えた。ホンダのCVCCに続いて、米国EPA(環境保護局)での試験に合格する。それを見て、国内外の自動車メーカーでも一時的にロータリーエンジン開発が行われた。
ところが次に、1974年の石油危機によって燃費が注目され、再度苦難を経験することとなった。サーマルリアクターの熱を利用した燃費改善技術で、大幅な燃費向上を実現したことにより、RX-7の誕生につながっていく。
日本の自動車メーカーとして初めてフランスのル・マン24時間レースで1991年に勝利する快挙も果たした。また水素への適正も示した。
それでも、世界的な気候変動抑制の動きの中で二酸化炭素(CO2)排出量の削減が大幅に求められ、ロータリーエンジン車の市販を終えた。ただ、電気自動車(EV)の走行距離を伸ばす発電機用動力として、今秋、ロータリーエンジンは再び日の目を見る予定だ。