この記事をまとめると
■2022年で誕生から50年を迎えるホンダ・シビックがフルモデルチェンジした
■170超の国と地域で販売され、グローバルでの累計販売は2700万台超
■歴代モデルでもっとも販売台数が多いのは初代の69万台
11代も続く日本の国民車! シビックはどのくらい売れた?
ホンダの基幹モデル「シビック」がフルモデルチェンジを果たした。数えて11代目となった新型シビックは、日本向けは埼玉県の寄居工場で製造されるメイド・イン・ジャパンのハッチバックモデルとなっている。
そんなシビックは2022年で誕生から50年を迎えることでも知られている。日本で生まれたベーシックカーは、いまや世界の10工場で生産され、170を超える国と地域で販売されるまで成長した。グローバルでの累計販売は2700万台を超え、直近でも年間68万台が売れているという(2020年値)。
とはいえ、日本市場ではそうしたシビックの元気さを実感できないのも事実だ。9代目ではタイプRが限定販売となるなど、このところはタイプRイメージが強く、シビックがベーシックカーというイメージが薄れている部分も否めない。
はたして日本においてシビックはどんな存在だったのか。歴代モデルを国内における販売台数順に並べながら、その歴史を振り返ってみよう。
なお以下に紹介する販売台数はホンダ調べの数値であり、基本的には万単位となっている。また、並行輸入車などは含んでいない点はご容赦いただきたい。
1位 初代:69万台
栄えある1位となったのは、最初のシビックだ。販売期間が1972年~1979年と長めなこともあるが、デビュー当初は2ドアではじまり、3ドアハッチバック、4ドアセダンとバリエーションを増やしたこと。
そして、なによりCVCCという排ガス規制をクリアしたエンジンを積んだり、はたまた1200RSというスポーツグレードを用意したりするなど、さまざまなニーズに応える姿勢が市場に評価されたことが、その大ヒットにつながったといえる。あらためて初代シビックのラインアップを思い出すと、ハイブリッドがあり、タイプRがある現在のシビック像はしっかりと伝統に則ったものだと再確認できる。
2位 4代目:64万台
シビック史上、国内で2番目に売れたのが1987年にフルモデルチェンジした4代目シビック、通称「グランドシビック」だ。ボディバリエーションは3ドアハッチバックと4ドアセダン、そしてミニバン的シルエットの5ドア「シャトル」が用意されたのが特徴だ。
シャトルの生産期間が長かった(1996年まで)のも、この代のビッグセールスに貢献しているだろうが、なによりもVTECの恩恵を受けたことが大きいだろう。1989年のマイナーチェンジでホンダ初のVTEC(カム切り替えによる可変バルブタイミング・リフト機構)を採用したB16Aエンジンを載せたことで、シビックのスポーツイメージは強烈なものになった。
3位 5代目:50万台
1991年のフルモデルチェンジ当初からVTECパワーを用意した5代目モデル、通称「スポーツシビック」は歴代3位の販売台数を稼いでいる。写真からもわかるようにエクステリアはグランドシビックのイメージを受け継ぐもので、ホットハッチ的なキャラクターが濃いのも同様だ。
このとき、4ドアセダンは「シビックフェリオ」と独立した呼び名を与えられたのもトピックスのひとつだ。また、この代では北米生産の2ドアクーペが輸入され、日本で販売された。これにより、シビックがグローバルモデルであることを日本のファンも実感することになったのも記憶に残る。
4位 3代目:44万台
歴代4位の販売台数を誇るのは1983年にフルモデルチェンジした通称「ワンダーシビック」だ。
この代では、3ドアハッチバックを軸に、4ドアセダン、5ドアの「シャトル」と3つのボディが用意された。デビュー当初は1.3リッター、1.5リッターエンジンの設定となっていたが、1984年のマイナーチェンジでシビック初のDOHCとなる1.6リッター「ZC」エンジンを搭載したことで、シビックをチューニングベースとして楽しむ若者が一気に増えた。それが4代目の大ヒットにつながったのだ。
5位 2代目:27万台
さて、通常であれば初代があれだけヒットすれば2代目も当然そうなると期待する。しかも、スタイリング的にもキープコンセプトとなれば売れることは間違いないと思いたくなるが、1979年にフルモデルチェンジした2代目の販売実績は初代、3代目と比べると明らかに沈んでいる。
その原因としてフルモデルチェンジ当初は3ドアハッチバックだけのラインアップになったことも挙げられる。このモデルではRVテイストのステーションワゴン「シビックカントリー」が用意されたことは記憶に残る。