アメリカ製を前面に打ち出して販売されたシビックがあった
11代目となるホンダ・シビックが9月3日から発売される。生産は埼玉県の寄居工場とのこと。月間販売計画台数は1000台。カローラほどの量販は狙っていないようなので、なおさら筆者のまわりのクルマ好きの間では、「海外生産モデルというインセンティブをつけたほうがよかったのではないか」との話で盛り上がる時がある。そんなとき筆者がふと思い出すのがシビッククーペである。
シビッククーペは1993年2月16日に国内発表された、スポーツシビックをベースにしたモデルと、1996年1月25日に国内発表された、ミラクルシビックをベースにしたモデルが、ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング製、つまりアメリカ工場生産車が輸入され国内販売されていた(右ハンドルになっていた)。
ホンダでは過去にアメリカ生産モデルを輸入販売していたことが多かった。なかでも代表的なのが4代目ベースのアコードワゴンであった(1991年4月発表/アコードワゴンの前に4代目ベースのクーペが1990年に/セダンのアメリカ製左ハンドルが1992年に発表されている)。
それ以前には、1988年にやはりアメリカ製となるが、リトラクタブルヘッドライトを採用した3代目ベースのアコードクーペが輸入販売されている。アコードでは5代目ベースのアメリカ製ワゴンとクーペが1994年2月に国内デビューしている。積極的にアメリカ製ホンダ車が輸入販売されていた時期のアメリカでは、アコードがヤッピー(若年エリート層)を中心にBMW並みといってもいいぐらい人気とステイタスが高く、とにかくアコード以外のホンダ車も含め、ホンダブランドの人気がとくに高かった。
シビッククーペが輸入販売されていたころのアメリカでは、パーソナルユースとして2ドアクーペのニーズが目立った。”セクレタリー(秘書)カー”などとも呼ばれ、キャリア志向の若い女性が、比較的コンパクトな2ドアクーペによく乗っていた。セリカあたりも日本ではスポーツクーペの印象が強いが、アメリカではセクレタリーカーとしてのニーズを狙って、アメリカ市場に投入したとの話もある。
日本での初代レクサスISのころなので15年ほど前となるが、南カリフォルニアのレクサス店を取材したことがある。なんだかんだと閉店時間まで取材に時間がかかってしまったのだが、その時、そのレクサス店の若手女性スタッフ(セールススタッフやメカニックではない事務職)が、颯爽とISクーペを操って帰路についていたのをいまも覚えている。(当時話を聞くと、ISぐらいならディーラーとトヨタの現地法人で月々のリース代を折半で負担、つまりディーラースタッフは支払い負担不要で乗ることができたそうだ)。
シビッククーペはクーペスタイルということ以外は、”アメリカ製”としてとくに目立つものはないのだが、計器盤のスピードメーターが、外側がkm、内側がマイルでの速度数字が印字されていたのが、とてもうれしかった。アメリカでは”外側マイル、内側km”の速度表示となっていたので、アメリカ仕様とまったく同じというわけではなかったが、アメリカ大好きの筆者としてはアメリカ製であることともに、とてもうれしい配慮だと喜んでいた。