ステッカーを貼るだけで気分はレーサー!
ステッカーチューン。懐かしいフレーズであり、主には昭和の時代に流行ったムーブメントであるように思うが、令和の今も東雲のスーパーオートバックスなどに行けば、国産スポーツカーの左右フロントフェンダーに、さまざまなチューニングブランドのステッカーを張っている若衆の姿を見ることができる。「ステッカーチューンは不滅なり!」なのだ。
だがここで「ステッカーチューンって“チューン”じゃねえだろ! シール貼ったっだけじゃ1馬力も上がんねえし!」という、ごもっともな意見を述べてくる者もいるかもしれない。
お気持ちはわかるが、その意見は少しだけ間違っている。
なぜならば、チューンすなわちtuneとは「パワーアップ」や「性能を向上させる」という意味の英語ではなく、あくまでも「調整する」「調律する」という意味の他動詞であるからだ。
その字義どおりの意味からいくと、「たしかに1馬力も上がらないが、愛車を自分好みのビジュアルに調整する」という行為であるステッカーチューンは、まさに一種の「チューニング」ではあるのだ。
……なんて話はどうでもいいとして、編集部から振られたお題である「昭和時代のトホホなステッカーチューン」について思い出してみよう。
真っ先に思い出されるトホホなステッカーチューンは、とくにいじってないホンダ車に「無限」のステッカーを貼ったり、同じく、中身は特にいじっていない日産車に「IMPUL」のステッカーを貼ったりしていたアレだろうか。
ただ、「普通のホンダ車に無限」や「中身ノーマルの日産車にIMPUL」というのは、人情の機微としてわからない話ではない。
「強くなりたい」「速くなりたい」「カッコよくありたい」という普遍的な想いに対し、「でもカネはない」という現実が覆いかぶさってきたとき、人はついついノーマル車に「無限」と貼ってしまったりもするのだ。私は、そこについては責めたくない。
またこれはステッカーではなく「エンブレムチューン」だが、昭和のベンツEクラスのリヤ部分に、AMGじゃないのに「AMG」と貼ってしまうのも、かなりダサいのは確かだが、心のありようとしては理解できる。
だがまったく理解できないのは――昭和の時代に時おりみかけた「トヨタ車に無限ステッカー」などの“ブランド違いステッカーチューン”である。
……あれはいったい何だったのだろうか?