いま誰もがクルマに乗れるのは「偉大すぎる」先駆車のおかげ! 世界に名を轟かせた「大衆車」4台 (1/2ページ)

庶民にクルマのありがたみを享受させてくれた偉大な4台

 自動車というのは人生において家についで高価な買い物といわれることもある。それでも工業製品の常で、基本的にはどんどん手に届きやすくなっているはずだ。もっとも、最近では世界経済と日本経済の成長ギャップによって国内についてはクルマの価格が体感的に上がっている印象もあるが……。

 それはさておき、かつてマイカーというのは夢のまた夢というくらい憧れの存在だった。現在のように、自動車ユーザーがこれほど増えるというのは100年前には想像できなかっただろう。いや、ヘンリー・フォード氏だけはそうした未来を見据えていたかもしれない。

1)フォード・モデルT

 というわけで、世界の大衆車としていの一番に紹介したいのが「フォード・モデルT」である。日本ではT型フォードの名前で知られるこのモデルは、史上初めてベルトコンベヤーを用いた生産方式によってつくられた量産車でもあり、1908年から1927年までの長きにわたりフルモデルチェンジをすることなく1500万台を生産したという大ヒットモデル。マイカーを身近なものとしたエポックメーキングなクルマである。

 そのエンジンは2.9リッター直列4気筒でトランスミッションはセミオートマといえる2速AT。クラッチはなく、足もとのペダルによって変速や前後進を切り替えるというユニークな操作系だった。アクセルはステアリングについており、ブレーキは足踏み式といったもので、現在の自動車とはかなり運転方法が異なっていた。

 そんなモデルTは、じつは日本でも生産されていた。大正時代の1925年にフォードが横浜にノックダウン工場を作り、そこから日本向けのモデルTが供給されていたのだ。そのフォード工場の跡地は、一時期資本関係のあったマツダに譲られ、現在は同社のR&Dセンターになっているのも不思議な縁だ。

2)フォルクスワーゲン・タイプ1

 まさしく国民車という意味を込めた名前のブランドが「Volkswagen(フォルクスワーゲン)」だ。その最初のモデルにして、「ビートル」の愛称で親しまれているのが「タイプ1」である。

 バックボーンフレームに流線形のボディを載せた構造で、その後端に空冷水平対向4気筒エンジンを積むというパッケージは、ビートルの象徴といえるもの。けっしてユニークを狙ったものではなく、開発された時代を考えると合理的な設計といえる。なにしろ、その誕生は1938年なのだ。

 そして2003年にメキシコで生産終了となるまで累計2100万台を超えるビートルが生産された。ご存知のように、これは単一モデルの四輪車としての最多記録となっている。まさに世界の国民車として愛されたのだ。

 これだけの台数が出たビートルには、数多くのカスタムも登場した。なかでも日本で有名になったのは秋篠宮殿下が若かりし頃(1980年代)に乗られていた黄色いビートルのカスタムカーだろう。フォード風のフロントグリルを装着し、バナナスポークのアルミホイールも備えた立派なカスタム仕様のビートルには、当時の天皇陛下もシートに腰をおろしたといわれている。プライベートとはいえ、皇室にも愛されたのがビートルなのである。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

愛車
スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
趣味
モトブログを作ること
好きな有名人
菅麻貴子(作詞家)

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