同じ「ワークス」でも似て非なる存在! 「TRD」「NISMO」「STI」「無限」の成り立ち (2/4ページ)

ニスモは宣伝部がルーツ

 つづいて日産ワークスであるニスモ。欧文表記するとNISMOとなるが、正式な社名はニッサン・モータースポーツ・インターナショナルで、その略称がニスモというわけだ。

 こちらは2つの組織にルーツを持つ。

 ひとつが日産自動車・追浜工場特殊車両実験課であり、もうひとつが宣伝部大森分室である。いずれも日産のモータースポーツを担当していた組織であるが、前者が工場直下のマシン製作からするワークスチームだったのに対して、後者は宣伝部配下になることからもわかるようにプロモーションを狙った組織となっていた。

 そのため、当時のレースファンからは追浜は純粋なレーシングカーを作る一軍、大森は市販車を改造したツーリングカーレースを担当する二軍といった見方をされることもあった。いずれにしても、ニスモの前身は日産のモータースポーツ組織にあるのだ。

 そんなニスモが誕生したのは1984年。その本拠は大森分室のあった東京都品川区南大井に置かれた。ここで追浜に本拠を構えていたならばモータースポーツ専業カンパニーになっていた可能性もあるだろうが、もともとユーザー窓口機能もあった大森分室の流れを受けたことで、ニスモはワークスチューンのブランドとして一般向けチューニングパーツも本格的に手掛けるようになる。

 現在の横浜市鶴見区に移転したのは2012年。スーパーGTなどのモータースポーツ活動で中心的な役割を果たしつつ、ユーザーカーへのサービスも行なっている。もちろん、全国の日産販売店などで入手できるチューニングパーツの開発も相変わらず積極的だ。

 ちなみに、量産車のNISMOバージョンについては日産系の特装メーカーにルーツを持つオーテックジャパンが担当していたりするが、ニスモとオーテックは片桐隆夫氏(元・日産自動車副社長)が代表をつとめる企業であり、リソースの最適化が図られているという見方をするのが妥当だろう。なお、当然ながらニスモは日産自動車の100%子会社である。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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