「ニュル最速が出た」「ニュルで開発した本物の走り」! アレコレ語られるけどそもそも「ニュルブルクリンク」って何? (1/2ページ)

クルマファンの聖地!? そもそもニュルブルクリンクってなんだ?

 ドイツ国内には、大小さまざまなサーキットが存在するが、なかでも世界的に高い知名度を誇るのがニュルブルクリンクだ。ドイツ中西部ラインラント=プファルツ州のニュルブルク村にあるこのサーキットは、世界有数の歴史を有し、ドイツの自動車産業を語る上でも欠かすことの出来ない存在である。

 ニュルブルクリンクの建設は、ドイツがまだホーエンツォレルン家の君主が統治していたプロイセン王国時代の20世紀初頭に、ウィルヘルム2世が先頭に立ち、ドイツの自動車産業とモータースポーツ人気を盛り上げることによる経済振興を目的に計画された。

 実際に建設がスタートしたのは、ワイマール共和国時代の1925年4月末。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは当時、経済の立て直しが急務となっていたこともあり、サーキット建設は失業者対策のための公共事業として実施された。ピーク時には2500人が作業にあたり、建設開始から約2年で完成。1927年6月18日に柿落としイベントとなる2輪レース「アイフェル・レース」が開催されている。

 建設費用は810万ライヒスマルクで、日本円に換算すると約40億円だが、企業物価指数を元に計算すると、現在の価値で約2兆5000億円にもなる。まあこれは極端な数字だが、巨額の資金が投入された事に違いはない。

 オープン当初のニュルブルクリンクは、有名なNordschleife(ノルトシュライフェ:北コース)と、現在のGPコースのメインストレートやバックストレートなどが含まれるStart-und-Zeal-Schleife(シュタート・ウント・ツィール・シュライフェ:スタート&ゴール・ループ)、そして1982年まで使われたSüdschleife(ズュートシュライフェ:南コース)を合わせると、総延長は28.265km、コーナーの数は170以上、高低差は約300m、傾斜率は最大17%もあった。

 あまりに過酷なコース特性のため、「Die Grüne Hölle(グリーン・ヘル:緑の地獄)」の異名を持つニュルブルクリンクは、当初からモータースポーツイベントの開催地のほかに、テストコースとして設計されている。その点では先日紹介したアヴス(アウトバーンの起源となるコース)と共通するが、アヴスは高速性能に焦点を当てたコースであるのに対し、ニュルブルクリンクはシャシー性能も含めた車両の総合的な性能向上を目的としたコースとなっている。

 自動車メーカーやタイヤメーカーがニュルブルクリンクで新型車の開発テストを行う理由は、まさにここにある。現在は南コースがGPコースに生まれ変わり、北コースも若干変更されて、オープン当時に比べれば優しくなったと言われているが、とくに現在でも1周20.832km、73のコーナーを持つ北コースの過酷さは、世界を見渡しても他に類を見ない。「ニュルブルクリンクには世界の道がある」と言われるほどである。


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