日本はスポーツカーを作らせたら世界一!?
かつて日本車は海外メーカーのモデルに学ぶことで成長してきた。そうした流れが変わってきたのは日本がバブル景気に沸いていた1989年だ。今でも国産車のビンテージイヤーとして知られる1989年は、それまで世界から学ぶ一方だった日本車が世界に影響を与えるようになったメモリアルイヤーでもある。
1)ライトウェイトスポーツ市場の開拓者「ユーノス・ロードスター」
1989年にはセルシオやレガシィ、スカイラインGT-Rなど様々な名車が登場しているが、なかでも世界の自動車メーカーにわかりやすい影響を与えたのはマツダのユーノス・ロードスターだろう。ロードスターの提示した「ライトウェイト・FR(後輪駆動)・オープンスポーツ」というコンセプトは、かつてイギリス車が生み出したもので、すでに過去のトレンドと思われていたが、ロードスターのヒットは世界のトレンドを大きく変えた。
ロードスターが切り開いた2シーターオープンというカテゴリーに敏感に反応したのがドイツ勢だ。ポルシェはボクスター、BMWはZ3、メルセデスはSLKといった具合に、各社の資産を活かした後輪駆動の2シーターが続々と登場した。もっとも、ボクスターは大きく成長してしまい、Z3の後継車であるZ4(スープラの兄弟車だ)も3リッター級になっている。
一方、ロードスターは現行モデルでダウンサイジングするなど、ライトウェイトの本筋に立ち返って進化を遂げている。世界に影響を与えつつ、自身は原点回帰するロードスターは、相変わらず唯一無二の存在であり続けている。
2)エブリデイスーパーカーに世界が驚いた「ホンダNSX」
さて1989年のビンテージイヤーの翌年、1990年に誕生した日本初のスーパーカーが「NSX」だ。ホンダの持つ技術の粋を集めたオールアルミボディのミッドシップスーパーカーは、軽量なコーナリングマシンというキャラクターで独自のポジションを確保したが、なにより世界のスーパーカーに影響を与えたのは、その「エブリデイスーパーカー」というコンセプトであろう。
3リッターV6 VTECエンジンには5速MTのほか4速ATが組み合わされ、毎日乗るスーパーカーとして十分な扱いやすさが与えられた。さらに、信頼性においても神経質なところはなかった。当時のエキゾチックなスーパーカーには、エンジンの始動性などにまだまだ神経質な部分が残っていたし、2ペダルの設定もほとんどなかったが、NSXの登場以降、気兼ねなく乗れるように進化してきたし、いまやスーパースポーツの世界でも2ペダルが当たり前になっている。こうしたトレンドの原点は初代NSXの誕生にあるといえる。