クラウンにレジェンドと存続に暗雲垂れ込めるセダン! かつてなぜ人気を得てどうして凋落したのか (2/2ページ)

かつてのセダンは2ドアで4ドアセダンは贅沢品として存在した

 そもそも、1966年にデビューした初代カローラは当初2ドアのみで、翌1967年に4ドアが追加されている。サニーについても1966年に初代がデビューした時には2ドアのみで、翌1967年に4ドアが追加されている。

 初代カローラ登場前に、国民車構想を意識して開発され、1961年に初代がデビューした大衆車の先駆けとなるトヨタ パブリカは、1978年に2代目が生産終了するまで、一貫して2ドアにトランク付きというスタイルを貫いた(バンやトラックもあったけどこちらも2ドアだった)。

 つまり、60年代あたりでは同じモデルでも4ドア車のほうが贅沢であり(価格もアップする)、2ドアセダンがそもそもファミリーカー(大衆車)としてはメインであった。後から追加された4ドアは同じ車種での「贅沢仕様」として位置づけられており、その流れで70年代後半までは2ドアセダンをラインアップするモデルが残っていたと考えられる。

 当時2ドアが標準のようになっていたのは、剛性確保の問題もあったとされるが、ドアが4枚になることは当然コストアップとなるので、贅沢というだけでなく、利便性も格段に向上するのである。大きなドアを開けて、前席シートを倒さないと後席への乗降ができない2ドアに比べれば、4ドアははるかに便利だったのである。

 もちろん、その当時でもクラウンやセドリックでは4ドアセダンスタイルが当たり前でもあったので、「4ドア=贅沢」となっていたのである。

 ちなみに丸目4灯式ヘッドライトも上級車の証であり、日野コンテッサでは最廉価のスタンダードだけ丸目2灯式となっていた。4代目カローラセダン(バンも採用)ではシリーズ最初で最後とされる丸目4灯式ヘッドライトを採用したのも、豪華さを出したかったからだと聞いたことがある。

 いまでは、世界的に多用途性にも欠け不便に思われがちな4ドアセダンであるが、もともとは、「2ドアセダンより便利で贅沢に見える」ということで、大衆車と呼ばれるクラスでも広まっていったのは、セダン離れの進む今ではなんとも皮肉な話に見える。

 セダン人気の凋落は、長い歳月を経て自動車自体のバリエーションというか、ミニバンやクロスオーバーSUVなど、新しいカテゴリーが増えて消費者にとって多様な選択ができるようになったことを物語っているものと考えられる。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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