それぞれに違った難しさがある
サーキット走行は一人で孤独だ。すべてを自分が見て判断し、感じるままに操作し、自己責任で走らなければならない。そうしたドライビング環境の違いの大きさにラリーストは大きく戸惑っていた。サーキットの走り方はこうだ、とアドバイスしても、身についたドライビング感覚は直ぐには修正できない。
さらにサーキットレースでは他車両と競う必要がある。自車の前後にライバルがいて、横に並ばれたり、目前でスピンされたりする。自分のカーコントロールだけでなく、他車両の動きまで観察し、予測して対処しなければならない。ハイスピードの限界域でそんなドライビングをするレーサーは「天才」だ、とラリーストは思うのだ。
では、レーサーがラリーを走ったらどうなるか。以前、僕は「ヴィッツ・チャレンジカップ」というラリー競技に挑戦したことがある。ナンバー付きのヴィッツはアンダーパワーで、サーキットなら目を瞑って片手運転しても走れるようなクルマだ。
しかし、ダートのステージでアタックすると、わずか1kmほどのコース設定にも関わらず、トップから4〜5秒も遅い。大小の石が転がり、轍も深く、時おり車体のフロアを激しくヒットしてしまうような悪路。レーサーとしてはクルマを壊さないように石を避け、凸凹は丁寧に通過してクルマへのダメージを最小限にしようという真理が働く。レースではマシンに大きなダメージを与えたら即リタイヤになりかねない。
しかし、ラリーストは石があっても、フロアをヒットしても全開で走り抜けていく。極端な場合はタイヤがバーストしても、そのままアタックし続ける。1キロのステージなら、1キロだけクルマが持てばよく、次のステージまでにまた「サービスパーク(レースのピットのような仮設ガレージエリア)」で修復できるからだ。
ヴィッツ・チャレンジクラスのようなエントリーラリーではそこまでハイレベルな「サービス」はなかったが、ラリーストはどのドライバーもサーキットでは考えられないくらいハンドルを切り、サイドブレーキを引いたり左足ブレーキをしたり、あの手この手で走らせるのだ。言い方は悪いが、それは繊細なドライビングではなく力ずくのカーコントロールと言えた。
それを走り慣れていない山奥の細い道で、ガードレールもない断崖沿いの林道でも行ってしまうのだから凄まじい。レーサーには絶対に真似のできない「神業」の領域だと思えた。
「レーサーは天才」、「ラリーストは神様」と語った大先輩はラリーで優勝し、カートやフォーミュラカーレースでもチャンピオンを獲得するなどレースとラリーの両方に長けていた。ドライビングの真髄を知る者だったからこそ語れる真実の言葉だったのだ。