ゲストドライバーのなかではトップでゴールするも……
走行は金曜日に45分間のプラクティスが1本と予選1が行われる。土曜は予選2、そして日曜日決勝という流れ。プラクティスはウエットでのスタートとなる。レインタイヤを履きコースインするが、初めてのサーキット。右も左もわからず、路面のウエットパッチなどを確認しつつ走行開始。しかし、歴戦の他車は初めから全開走行だ。
スパ名物の「オー・ルージュ」を初走行。アップダウンが強烈で、出口のラインがまったく見えない。これは手強そうだ。2〜3度のピットイン・アウトを繰り返し、セッションはあっという間に終了した。サスペンションのセッティングが超柔らかく、ロールが大きくてコーナーではオーバーステアが強い。それをジンガー氏に訴えると「911はそういうクルマだよ」と一笑に伏された。
ポルシェ社としては僕を勝たせようという意思はなく、より速さを求める提案はすべて受け入れられなかった。何より事故なく無事に走り切ってくれればそれいでいい、ということだ。
次の走行はもう公式予選1で路面はウエット。しかし、それも「スパウェザー」では当たり前。泣き言も良い訳もない。雨は止んでいるが徐々に乾きそうなコンディションだ。まずはウエットタイヤでスタートするが、多くのチームは後半に路面が乾いてスリックで一発のタイムを狙うため待機している。
しかし予選時間は長くはない。2〜3周してピットインし初めてのスリック。途中、勢いあまりプーオンでコースアウトした。グラベルに出てしまいフルカウンター。超高速の下りベントなだけに大クラッシュも覚悟したが、必死でコントロールしスピンもせずにコース復帰できた。そのシーンが丁度モニターに映され、見ていた日本人の知人は「終わったな」と思ったそうだ。ベストモータリングで実践した緊急回避テクニックとほぼ同じ手順で切り抜けることができた。
その数周後、後ろを走っていた北米チャンピオンは同じ状況に陥り、ガードレールに激しくクラッシュ。マシンは全損になり、彼は救急搬送されてしまった。
路面の乾いた所を探しながらなんとかいいラップをまとめようとした最終周。高速のプーオンを抜けカンパスに向かっていると背後から超速のトップコンテンダーたちが迫って来てブルーフラッグ。仕方なく3〜4台に進路を譲りタイムロスしてしまって終了した。この結果、予選順位は18位。バニラ・イクスの後塵を拝することになった。
土曜日の予選2で挽回すべく準備をするが、土曜日はさらなる大雨となる。雨は激しさを増し、コースインするのも危険なほど。多くのチームは出走せず待機している。僕はコースを覚えるためにコースインしたが、各所でハイドロが発生して覚えるどころではなく、タイムアタックもできずにセッションは終了してしまう。
そして翌日曜日。もう決勝である。天気は快晴。さすがスパウェザーである。不運なドライバーはこの天候に徹底的に翻弄される運命だ。
決勝はいきなり初めてのスリック&ドライ路面でのスタートとなった。後位からのスタートなので離されないように付いて行くしかない。
決勝のスタートは第一コーナーとなるラ・ソースで渋滞が発生するのが常。追突しないように気をつけながらクリアし、オー・ルージュへ。ドライ/スリックだとどんな速度で抜けられるのかわからないまま進入。3コーナーでちょいブレーキしてアクセルワークしながら駆け上がる。続くケメル・ストレートはスリップを使い、使われ横並び。2台くらいにパスされてル・コンブへ。
ここで驚かされたのは前方に居並ぶすべてのカップカーがカウンターを当ててドリフトさせながら走行していたことだ。自分もその速度ではリヤの流れを抑えられずカウンターステア走行している。その流れのまま超高速コーナーのプーオンもドリフト走行! それは肝も縮まるような恐ろしいシーンだった。前を走るのはバニラ氏。付かず離れずの位置でラインを盗もうという作戦にした。
最終ラップのラ・ソースで前を走っていたバニラ氏がスピン。それを交わして順位を上げ総合15位でフィニッシュした。ジンガー氏メンテの3台のなかではトップフィニッシュとなったのだが、総合では下位で満足出来る結果ではなかった。
後日、このスーパーカップに参戦していた某チーム監督から翌シーズンのオファーが届いた。彼は僕がル・マンに参戦した時のブルン・ポルシェのチーム監督だった。嬉しいオファーだったが年間参戦費用4千万円のスポンサーフィーを獲得できず、スパウェザーの霧の如くチャンスは消えていった。