ポルシェファンの聖地ヴァイザッハ! 若き日の中谷明彦が体験した「日本の常識」が通じない世界とは (2/2ページ)

初めてのマシンで走ってコースレコードのコンマ5秒落ちを記録!

 翌朝、いよいよヴァイザッハ研究所に向かう。研究所の周囲は美しい田園に囲まれ、目を奪われていると、対向車線を2台のテスト車両と思われるポルシェ車がもの凄い勢いで現れ、あっと言う間に過ぎ去っていった。どうやらテストセンターは近いようだ。

 写真でしか見たことがなかったヴァイザッハの門前に到着し、受付で担当者を呼び出してもらう。ほどなく広報の女性が登場し、施設内をいろいろと案内してくれた。その際にアテンドとして若い男性スタッフも同行。聞けば彼はまだ18歳のオーストラリア人で、英語が話せるということで世話役として呼び出されたという。

 18歳の若者がポルシェの聖地「ヴァイザッハ」でどんな仕事をしているのか訊ねると、じつはまだ入社して3カ月目だという。ポルシェ社で働きたくて3カ月前にヴァイザッハを訪れ、門を叩いて「何か仕事をさせて」と頼んだらしい。すると対応してくれた人事担当者が「君は何が出来るのか?」と聞くので「クルマの運転なら出来ます」と答えたという。すると「それならテスト・ドライバーになりなさい」ということでテスト・ドライバー部門に配属されたのだという。日本の常識で考えたらあり得ないような、なんとも羨ましい話しじゃないか。

 彼とヴァイザッハの社員食堂で昼食を取り、テストコースエリアに移動する。そのなかにレーシング部門専用エリアがあり、ドライバーズロッカーにはポルシェ・ワークスのレーシングギアが何十着も掛け並べられている。サイズの合う物を選んで着てくださいと案内され、アンダーウェアからヘルメットまで一式を借り揃え着替えた。

 そしてテストコースのピットへ移動。途中、レーシングカー専用ガレージがあり、なかを覗くとプロトタイプのレーシングカーが置かれていた。どうやらGT1の発展モデルのようだったが公開されていない。聞けばヴァイザッハではポルシェ社が「ゴーサイン」を出せばいつでもガレージからマシンを引き出し、ル・マン24時間レースで闘える準備をしているのだという。その年はル・マンに参戦していなかったが、準備だけは毎年万全に整えているのだと。さすがポルシェはル・マン参戦にブランクがあってもつねに強い理由がわかった。

 コースサイドにピットエリア(といっても屋根もないただの作業スペース)にいくと純白の911スーパーカップ仕様が2台並べられていた。1台はシェイクダウンを行う新車だという。そしてもうひとり、レーシングスーツを着た小柄な女性ドライバーがスタンバイしていた。彼女はバニラ・イクス。そう、あのベルギーが誇る天才レーサー・ジャッキー・イクス氏の愛娘である。

 ブルーの瞳が魅力的で小柄なバニラ氏だが、レースでの走りは勇猛果敢で一目を置かれているらしい。どうやら僕と同じ、彼女の地元でもあるスパ・フランコルシャンラウンドで911スーパーカップにデビューするらしく、その準備のためヴァイザッハで合宿トレーニングを積んでいるらしい。デビュー戦からヴァイザッハワークス体制なわけだ。ジャッキー・イクス氏の影響力の大きさがわかる。

 トレーニング用車両で周回を重ねるバニラ氏。僕は新車のシェイクダウンと自身のコースへの習熟が求められ、ゆっくりと周回しながらペースアップしていった。

 夕刻までみっちり走り込み、ピットサインが出てピットイン。タイヤがすでに使用限界に達していたので走行終了と指示された。僕はニュータイヤの感触を掴みたいと申し出たのだが、「もうコースレコードのコンマ5秒落ちのタイムが出ているからこれ以上速く走らなくていい」と却下されてしまった。件のオーストラリア人男性が「君がバニラより速く走っているからバニラが機嫌悪くしたんだよ」とこっそり教えてくれた。

 ということで、未知のコースでもそこそこ闘えるという感触を掴み、ヴァイザッハを後にした。スパ・フランコルシャンのレースはそれから2週間後。一旦帰国するか、そのまま居残ってレースデイを迎えるか悩ましいところだったが、滞在費用を押させるため安いチケットで帰国することにした。そして迎えるスパ・フランコルシャンで起こったこととは。また別の機会にリポートさせていただきたい。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

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