「深夜まで営業」「週一休みでも御の字」は過去! 「さとり世代」や「モンペ」で激変するイマドキ新車ディーラーマンの働き方とは (1/2ページ)

バブル期は夜遅くまで営業に出るのが当たり前ということも……

 2021年3月1日より、来年春(2022年春)卒業予定となる大学生向けの就職に関する企業説明会が始まった。さまざまな情報サイト上にある就活大学生人気企業ランキングを見ていると、自動車メーカーで見れば、トヨタの名前は比較的上位に出てくることもあるが、そのほかのメーカー名が一定ランキング以上で出ることは確認できなかった。

 1960年代あたりの日本映画を見ていると、その当時の自動車メーカーを舞台にしたものが結構あったりする。モータリゼーションとも呼ばれ、“マイカー”としてクルマが新しい生活ツールとして注目されたが、まだまだ手軽に購入できる価格(当時の給料と比較して)でもなかった。

 そのため乗用車が庶民の憧れであり、そして日本の自動車産業がまさに世界へ本格的に進出しようとしていた時期なので、先進性のある“トレンディ(少々古い表現ですいません)”な職業として注目されていただろうし、当時の就活生も就職先として注目していたはずである。

 しかしながら、実際に新車を販売するディーラーといえば、長い間“ブラック企業”の最先端をいくような業種のひとつといわれるほど、就労環境は厳しいものがあった。

 セールスマンについて、学卒(4年制大学)新社会人の採用が本格化したのは、バブル経済のころ、つまり1980年代後半まで遡る。それまでは、給与体系における歩合給の比率が高いこともあり、“稼げる仕事”として異業種からの転職がメインとなっていた。宝石販売のトップセールスマンなど、異業種の販売職で腕を磨き、「新車販売でひと山当てよう」みたいなひとが新車販売の世界に流れてきたのだ。

 歩合給比率が高く、売れば売るだけ給料に反映されるので、歩合給のいいライバルディーラーがあれば、ホイホイと業界を渡り歩くことも珍しくなかった。個人情報保護法ができるまでは、自分の販売した顧客リストとともに転職し、転職先でいままでの顧客に新たに扱うこととなったブランドのクルマを売っていくのが当たり前といってもいい状態。

 しかし、前述したように学卒セールスマンの採用がメインとなってくると同時に、それまでの完全飛び込み営業というものは、時代の変化もあり徐々にカウンターセールス(店を訪れたお客のフォロー)が中心となっていった。

 空前の好景気であったバブル経済期には、週末イベントだけでなく、平日もとにかく店を開けていれば新車がよく売れた。それまでと異なり、お客が店頭へ新車を買いに来るようになったのだ。それでも、店頭でそのまま受注までいくケースは少なく、店頭応対したその日の晩にお客の家を訪れて再度商談を行い、契約をもらう夜間訪問活動がセールスマンのメインの仕事となっていた。

 そのため、帰宅は連日深夜になるのも当たり前。とにかく拘束時間が長く、しかも週に1度休めればいいほうで、休みなく働き詰めということも珍しくなかった。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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