三菱は積極的に東南アジアへ進出した
三菱自動車はタイなど、東南アジアへの進出が他の日系メーカーに比べて積極的だった。たとえば、マレーシアの場合、国家政策として企画された自動車メーカーのプロトンでは、マハティール第一政権のもとでマハティール首相が三菱自動車との連携を進めた。実際、プロトン本社を取材したことがあるが、創業からしばらくの間は、三菱自動車の技術がプロトン全体を下支えしてきた。
三菱自動車として、日本国内ではトヨタと日産という二大巨頭に対して、商品力や販売力で真っ向勝負をすることが難しいなかで、商機を東南アジアに求めたということだ。
同じ頃、スズキは鈴木修社長(当時)の決断により、インド政府から要請のあった国民車構想をスズキが請け負うことにした事例に近いと言える。
このように、政府や地元の大手財閥などに対して、日本からいち早く関係を持ったメーカーに対する、各国の庶民はもとより、経済界からの信頼感が高まるのは当然のことだ。
そうした地元からの信頼を受けて、三菱の場合は、タイ、マレーシア、フィリピンなどでの販売強化を進めると同時に、タイを東南アジアのみならず中近東、アフリカ、南米など経済新興国に対するマザー工場(中核的な工場)として位置付けた。
工場に隣接する場所にある大規模な輸出港も取材したが、その場に立ってみると改めて、三菱が東南アジアを最重要拠点としていることを肌身で感じた。
東南アジアでの雇用を守り、そして東南アジアや経済新興国の社会実情に見合ったさまざまな商品モデルを開発する三菱自動車に対して、東南アジア各国での三菱自動車に対する信頼が高まるのは当然のことだと思える。
それが、高級車でも三菱ブランドを買おうという購買行動に結びついている。