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ホンダも日産も「後出しジャンケン」なのに苦戦の歴史! 熾烈極まる「ハイブリッド車」開発バトル (1/2ページ)

ホンダも日産も「後出しジャンケン」なのに苦戦の歴史! 熾烈極まる「ハイブリッド車」開発バトル

ホンダはガソリンエンジン中心の考え方だった

 世界初の量産市販ハイブリッド車(HV)として、トヨタ・プリウスは1997年に発売された。そのあと、99年にはホンダ・インサイトが発売になった。日産からも、2000年にティーノ・ハイブリッドが発売されたが、これは100台限定で、当時としては先駆的なネット販売であった。

 インサイトは、ガソリンエンジンと変速機(CVTとMT)の間に円盤状の薄型モーターを挟み込み、エンジンの燃費を改善するハイブリッド方式だった。IMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)という名称が与えられ、まさにモーターはエンジンの補助として組み込まれたという機構そのものを言い表していた。

 IMAは、2001年にシビックの4ドアセダンであるフェリオへは展開したが、中核となるハッチバックへは搭載せず、05年にモデルチェンジではハイブリッド車がなくなっている。そして06年にインサイトは製造が中止され、2代目は09年になっての再登場となった。

 また初代で人気を高めたフィットへは2代目の途中の2010年にならないとハイブリッドを設定しなかった。世界一のエンジンメーカー(2輪4輪汎用を含めて)であるホンダはガソリンエンジン中心の考え方があり、IMA搭載車でもHVという感触はあまりなく、消費者もその魅力を感じにくかったのではないか。ハイブリッドに対し、ホンダはそのころ右往左往していた。

 のちに、小型車用にi-DCD(インテリジェント‐デュアル・クラッチ・ドライブ)というハイブリッドシステムを新しく開発し、2013年にフィットに採用した。ところが、1つのモーターと7速DCT(デュアル・クラッチ・トランスミッション)を組み合わせた機構は制御が複雑で、リコールを出した。

 一方、アコードなど中型車には2つのモーターを使うi-MMD(インテリジェント‐マルチ・モード・ドライブ)方式を用い、プラグインハイブリッドへも応用された。これが現在のe:HEVへ名称を変更し、小型車へもi-DCDに替えて搭載されるようになった。

 e:HEVは、モーター駆動を主体としたハイブリッド方式で、日産のe-POWERに似ている。ただし、e:HEVは高速での巡行でガソリンエンジンによる走行も行う。

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