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墜落=死の危険の思想が根付く! SUBARU車に「元航空機メーカーらしさ」を感じるところ【その1】 (1/2ページ)

墜落=死の危険の思想が根付く! SUBARU車に「元航空機メーカーらしさ」を感じるところ【その1】

フルモノコック構造は航空機の機体作りからの発想

 SUBARU車をみて「元航空機メーカーらしさ」を感じさせる部分はいくつもあるが、今回は「設計思想の原点」について注目してみた。

 SUBARU(当時は富士重工業)が、1958年に初めて販売した四輪車として知られるスバル360。機械遺産に認定もされている日本の歴史的な名車のひとつだが、開発にあたっては、まさに航空機メーカーならではの発想で生み出されている。

 そのひとつが、当時の日本車としては例のないフルモノコック構造の採用だ。SUBARUは初めて四輪車を作るにあたり、欧米車のコピーではなく、国内では前例のないフルモノコック構造としたのは航空機の機体作りからの発想だった。

 モノコック構造のボディにおいては、軽量化と強度、耐久性の確保で、軽自動車という寸法の限られた小型の乗用車にこれ以外の選択肢はありえなかったという。航空機と同じ発想で、重量が嵩む鍛造品は使わず、トレーリングアームもパイプ構造とするなど、各部には中空構造のパーツの多様にこだわった。

 スバル360の開発テストドライバーを務めた福島時雄さん(元富士重工業走行実験担当)は「当時の日本の自動車会社では、うち以外にモノコックボディの強度設計をできるところはありませんでしたから、大きなアドバンテージを感じました。当時の日本人はクルマのことなんて誰も知らなかったので、見た目の格好良さぐらいしか判断基準がなく、SUBARUのクルマ作りの凄さが世間一般にはなかなか伝わらないのがもどかしかったです」と語る。

 当時の日本の自動車会社にはフルモノコックボディという発想がなく、それを作るためのノウハウもなかった。モノコックボディでは応力集中をいかに避けるかが重要。当時の一般的な車体作りでは、板厚を厚くしたり板の枚数を増やして強度を上げていたので重くなる一方。路面からの入力を応力集中で逃げるという発想は元航空機メーカーならではのものだった。

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