日本とは真逆の季節が車両開発に最適だった
南半球に位置するオーストラリアは北半球とは季節が真逆で推移する。そのため、北半球が冬のオフシーズンとなる時期、メーカー系のレーシングチームは真夏のオーストラリアに遠征してさまざまな走行テストを行うようになった。冬に真夏用タイヤのテストができるし、逆に夏に氷雪路での電子制御マッチングができるなど、とくに日本と時差の少ないオーストラリアでの走行テストは欠かせないものとなっているのだ。
オーストラリアではモータースポーツが凄く盛んで、北米と欧州を足して割ったような熱狂とマニアックな人気に支えられている。ここ数年、F1の開幕戦は3月のオーストラリアで開幕するのが定番となっていた。
僕が初めてオーストラリアを訪れたのは1986年。三菱・ラリーアートとレースドライバー契約を果たし、4月開幕の全日本グループAレースに備えるため、オーストラリアで開発テストを行ったのだ。三菱自動車にとってもオーストラリアは重要なマーケットであり、生産拠点でもあった。
当時、トヨタや日産などもオーストラリアに生産工場を有していたが、マーケットでもっともシェアが大きかったのは三菱自動車だったのだ。それだけに現地のレースチームもスタリオンのグループA車両でレースをしたいと熱望し、日本サイドと協調して開発を進めることとなったのだ。
僕が初めてスタリオン・グループAを走らせたのは前年の1985年。富士スピードウェイで初開催された「インターTECレース」だ。じつはこのときに僕が搭乗した日本のラリーアート車以外にも、英国チームとオーストラリアチームの計3台がエントリーして出走していた。オーストラリアチーム車には元F1パイロットのK・バートレットが搭乗していたことも多くの人は知らないだろう。
そのオーストラリアでも年に一度開催され、地元のみならず欧米でも大きく報道され注目されるレースがバサースト1000kmレースだ。ニューサウスウェールズ州のバサーストにある、マウントパノラマ・サーキットは1938年に建造された山岳地帯のサーキットで、ドイツのニュルブルクリンクと「コークスクリュー」で有名な北米のラグナ・セカを合わせたような難攻不落のコースとして知られている。
近年、SIMゲームの「グランツーリスモ」にも同コースが収録されており、アタックしたひとも多いのではないだろうか。僕は実際のコースとグランツーリスモのコース両方を走った数少ない日本人ドライバーと言えるかもしれない。