ベンツ&BMWはOK! マセラティはダメ!
納車初日に雨の高速道路でワイパーモーターが炎上&ワイパー停止、奥多摩の山道を走っていたらバッテリーが割れてバッテリー液が漏れ、夜道なのにヘッドライトが付かない、冬はキャブレター仕様でエンジン始動に失敗すると終日乗れない……なんていうのは武勇伝として、クルマ自体、エクステリアデザインも、妖しいインテリアの雰囲気も、そして2.5リッターV6ツインターボエンジンのオーケストラのような咆哮も最高だったのだが、当時、マセラティそのものの知名度が、一般の人にはないに等しかったのである。ボディカラーがジミ〜なガンメタリックだったこともあって、ベンツ、BMWの認知度、人気に敵うはずもなし。
ある日、女子大生の卒業式に、迎えに行くことになった。ただ、その前のデートで、マセラティの評価はイマイチ。というか、関心ゼロ。クルマ好きにはウケても、素人女子大生にはガイシャ感なし。脳内クルマ辞典に記載なし。で、わざわざ友人のベンツSクラスクーペを借りて迎えに行ったところ、やっぱりお友達に鼻が高いのだろう、みんなでベンツの前で写真を撮ったりして大はしゃぎ。クルマに乗せてからも、やっぱりベンツはいいわね~の連発。ヘコミましたとも。そして改めて、ベンツのステータスを思い知ったのでした。もちろん、その後、買いましたよ、ベンツ300Eをね。
しかし、思い起こせば、スマホも韓流もなかった70年代~80年代の女子は、今よりずっとクルマに興味がある子が多かったと記憶している。大学の自動車部に在籍している子も多く、なかには自動車専門誌でアルバイトしていた運転上手な子もいたぐらいである。
そうそう、80年代初頭、青山の大学に通っている子と青山通沿いのカフェで知り合った。当時としてはかなりイケてる白いフォルクスワーゲンのゴルフ・カブリオレに乗っていると聞き、美女×ゴルフ・カブリオに興味津々で速攻アタック。後日、クルマに乗った彼女と会い、白いボディがメンテ不足で灰色っぽくなっていたので、原宿表参道近くの家の駐車場まで押し掛け、洗車、クリーニングしてあげたら、母親込みで感謝され、会ってまだ2回目なのに、彼氏のごとく夕食までご馳走してもらった昭和なエピソードもあった。
それはともかく、当時のイケてるお嬢様のステータスカーの1台が、街中でも、リゾート地でも目立ちに目立つ、レアモデルでもある白の初代VWゴルフ・カブリオレ(北欧車のサーブ、ボルボもお嬢様御用達カーだった)。VWゴルフ(のカブリオレ)がステータスだったなんて、今では信じられないでしょうけどね。
そんなわけだから、クルマ好きの女の子が彼氏を選ぶ場合、70~80年代の男と女の関係は今よりずっとユルかった!? けれど、女の子としては自分の愛車より格上の、それなりのステータスあるクルマに乗っていることが条件だったかも知れない。それも、誰もが知るドイツ御三家がお約束。ボクが80年代に乗っていたマセラティは、マニアックすぎて(今ならマセラティは最高のデートカーだろう)、ブランドに由来するステータス感はほとんどなかったというわけだ(泣)。そんな時代に生きていたからこそ、そしてガイシャにぞっこんだったからこそ、1988年6月に、おそらく日本で初めての外車購入術を1冊にまとめた単行本「ぼくたちの外車獲得宣言」(リヨン社刊)を執筆したのである。
その単行本は、当時のヤナセが相当数、買い上げてくれて、セールスマニュアルの参考にもなったらしい。その流れで、ステータスあるヤナセのクルマをどうセールスするのかの、「ヤナセ女性セールスコンテスト」の審査員までやらせていただいたりして……。個人的には、ガイシャ=ステータスのバブルの波に、見事に乗れた時代でもあったのだ。