自主規制という形で280馬力が上限の時代が続いた
昨今のコロナ禍でもさんざん出てくる「自粛」という言葉。「自粛」とは「自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと」なので、「自粛の要請」といった使い方は、本来おおいに矛盾しているのだが、同調圧力の強い我が国では、昔からこの「自粛の要請」的なものがはびこっている。
クルマ業界でいえば、1989年からはじまった「280馬力自主規制」というのもそのひとつ。
1980年に日産スカイラインターボ(C210 ジャパン)が登場したとき、145馬力でもすごいと思ったし、1984年に日産R30スカイラインのターボCが200馬力オーバー(205馬力)になったときは興奮したものだが、その後、国産車のパワー競走は激しくなり、1989年に登場した日産フェアレディZ(Z32)とインフィニティQ45の輸出仕様はついに300馬力の大台に!
一方で、1980年代後半は、「第2次交通戦争」と呼ばれるほど交通事故死者が急増……。
エンジンのハイパワー化と交通事故発生数の因果関係に根拠といえるものなどなかったが、お上としては看過できぬということで、当時の運輸省(現:国土交通省)が日本自動車工業会に最大出力に関する行政指導を行い、大台(300馬力)には乗らないように打診。
命令や規則ではないので、拘束力はなかったが、280馬力で型式認定を行なったZ32以降、それ以上の出力で型式認定されたクルマはなく(日本自動車工業会に加盟していない会社を除く)、自主規制という形で280馬力が上限の時代が続くことになった。