就任以降は数多くの困難を乗り越えてきた
「トヨタのクルマは好きになれないけれど、社長の豊田章男さんはリスペクトしている」、そんな風に感じているクルマ好きは少ないないのではないだろうか。世界のトヨタを創業家の血筋をもって率いるリーダーでありながら、「ガソリンの匂いが大好きだ」と公言するカーガイでもある豊田章男氏は、クルマ好きが共感できる自動車会社のリーダーとして他社のファンからも認められた存在となっている。
そんな豊田章男氏は、「世間では3代目は会社をつぶすと言われまして……」と、創業家のお坊ちゃんであることを自虐的に表現するという挨拶を“持ちネタ”のひとつとしているが、豊田自動織機の創業者である曾祖父の豊田佐吉氏から数えると、じつは4代目だったりする。祖父がトヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏、父親はトヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎氏といった、まごうことなきサラブレッドである。
とはいえ、そのキャリアは順風満帆だったわけではない。社長就任は2009年、前年のリーマンショックを受けて、トヨタは初の赤字となり、まさにどん底といえる状況で創業家の登場というのは外野からは辛らつな目で見られていたのも事実だ。つづく2010年にはアメリカでの暴走事故からアメリカ議会の公聴会に出席、2011年には東日本大震災によるサプライチェーンの分断など、社長就任以後はかつてないほどの荒波を乗り越えてきた。単なる創業家のお坊ちゃんではなく、明確なリーダーシップを持つ人物であることは社長就任からの10年を超える日々で証明してきている。
その一方で、社長就任前からひっそりと続けてきたカーガイとしての活動も知られている。トヨタのトップガンであった故・成瀬 弘さんからドライビングスキルだけでなく、クルマを評価する技術、そして「いいクルマづくり」について教えを受けたことで、単なるカーガイからトヨタのマスタードライバーへの道を歩み始めた。副社長時代の2007年にはお忍びでニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦、その際に『モリゾウ』という文字どおりのハンドルネームを使ったのはトヨタの御曹司ということを隠すためだったというが、そのモリゾウという名前は、豊田章男氏のもうひとつの人格となり、豊田章男氏を唯一無二のカーガイ経営者というキャラクターへ昇華させていく。
当初はお忍びでのレース活動だったが、いまやスーパー耐久に参戦するほどとなり、またイベントではWRCマシンを自在に操る様を披露するなど、そのドライビングテクニックの高さについては多くが認めるところとなっている。その際に、ニコニコと本当に楽しそうにクルマを運転する様は、ポーズとしてのクルマ好きではなく、真のカーガイであると感じさせるものだ。それが、冒頭に記したようにアンチトヨタ派のクルマ好きからもリスペクトされる理由だ。
こうなると「トヨタ自動車の社長がレース活動なんて」と眉をひそめていた層にしても、その活動を認めざるを得ない。これほどトヨタというブランド価値を高める存在になってしまうと、モリゾウとしてのキャラクターも積極的に活用できるようになっている。