日本専用車は少なくなっている
自動車メーカーが、世界戦略車という言いまわしをするようになって久しい。別の言い方をすれば、日本専用車が少なくなった、ということだ。
80年代頃まで、日本車の多くは日本市場向けに開発され、その一部がアメリカを主体として、欧州や東南アジアにも輸出されるケースが徐々に増えていった。
90年代になると、海外での販売台数が大きく伸びてきたため、現地生産へと切り替えるメーカーが増えた。ボディ、塗装、組立て、またエンジンやミッションの製造など、すべての工程を海外で完結するケースのほか、KD(ノックダウン)方式と呼ばれる、ドアなどの完成部品を輸出して現地で最終組付けするケースも増えた。
こうして日本車の海外生産と海外販売が増えることで、自動車メーカーとしては、世界市場全体を見据えた、効率の良い商品戦略を考案するようになった。それが、世界戦略車である。
最初に始めたのは、C/Dセグメントと呼ばれる小型・中型車だ。筆頭は、トヨタ「カローラ」。仕向け地(販売国)別に、装備品が違う場合を考慮したボディ設計を施した。カローラの成功によって、少しサイズの大きな「カムリ」も世界戦略車の仲間入りとなった。ホンダでは、「シビック」、「アコード」が相当する。
C/Dセグメントよりさらにボディサイズが小さいBセグメントでは、「ヴィッツ(ヤリス)」、「フィット(ジャズ)」、「デミオ(マツダ2)」などが世界戦略車となった。また、トヨタが世界で初めて大量生産に成功したハイブリッド車についても「プリウス」という世界戦略車を生んだ。