じつはアメリカ・ファーストのクルマだった! 86&BRZが北米で人気なワケ

アメリカで先行発表されるほどに潜在的な人気が高いモデルだ

 スバルは日本時間の2020年11月18日、2代目となる新型「BRZ」をオンラインでワールドプレミアした。ただし、その舞台はスバルの母国である日本ではなく、アメリカだった。公開されたのは北米モデルであり、プレゼンテーション動画も当然、英語だった。

 なぜ、アメリカ・ファーストなのか?

 理由は単純明快で、アメリカでBRZ、さらにトヨタ86の潜在的な人気が高いからだ。そもそも、BRZ/86の商品企画が立ち上がったとき、主力マーケットとして設定したのがアメリカだった。

 BRZ/86の世界発売は2012年。その4年ほど前から、富士重工業(当時)とトヨタはアメリカでの市場調査を開始した。そんな2000年代後半のアメリカには、90年代末から2000年代初頭に大ブレイクした、ジャパニーズ・チューニングブームの”残り香”があった。

 映画「ワイルドスピード(原題:ザ・ファスト・アンド・ザ・フューリアス)」で描かれたような世界。「トヨタ・80スープラ」、「三菱ランサーエボリューションVII」、「日産S15シルビア」、「日産フェアレディZ32」、そして「ホンダEG/EK シビック」などを米西海岸のロサンゼルスカウンティ(郡)や、オレンジカウンティなどで改造する韓国系や日系のアメリカ人が増えた。彼らはストリートドラックレースや、過激なコスチュームの若い女性が集まる「ショー」と呼ばれる展示会に興じた。

 そんな西海岸ブームは一気に全米各地に飛び火したのだが、違法改造車に対するアメリカ当局の取り締まりがきわめて強かったことなどから、2000年代中ごろにはジャパニーズチューニングカーブームは完全に終焉してしまった。

 そうした「嵐が去った後」のアメリカでは、ノーマル状態でも走りが楽しめて、新車価格もあまり高くなく、スポーティな日系スポーツカーを要望する声が各地で潜在的にあったのだ。ジャパニーズチューニングカーブームは結果的に、新しい世代の日系スポーツカーであるBRZ/86誕生のきっかけになったともいえる。

 この分野では事実上、BRZ/86は独占的な存在であり、ユーザーのコミュニティも全米各地に自然発生していく。なかには、ありし日のジャパニーズチューニングカーブームを懐かしむかのように、ビッグタービン仕様に仕立てて、アメリカンアフターマーケットの祭典、ラスベガスSEMAショーに出展するショップや個人ユーザーが生まれた。別の見方をすると、そうしたスモールコミュニティから、さらに一歩先のクルマを求めようとすると、彼らの要望を満たすクルマが見つからなかった。

 そこで、86の開発担当者であるトヨタの多田哲哉氏が、全米各地のBRZ/86オーナーたちから直接話を聞くなかで、新世代「スープラ」の発想が生まれた。

 このほか、欧州や東南アジアなどにも正規輸入または並行輸入でのBRZ/86は存在するが、主体となるのはやはり、アメリカである。


桃田健史 MOMOTA KENJI

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