昔に比べて後進を育てる環境が整いつつある
なるほど、こうしてライバルを陥れ、若い芽を摘んでいくのがレース界のやり方なんだ、と学んだ。「あんた筋いいからさ、クルマ直すんやったらウチで面倒見てやってもええで。」と誘われたが、修復して参戦継続する予算は媒体チームにはなく、僕のシビックレース参戦は夢と消えてしまったのだった。
このときの教訓から、レースでは誰のアドバイスも信用しないと心に決める。結局は自分の感覚がすべて。あのとき130Rを全開で抜けられるようなグリップ感も安定感も感じていなかった。それを信じるべきだったのだ。
レース界にはほかのスポーツ界の見られるような「コーチ」の存在がない。どちらかと言えばチーフメカニックが運転に関してまでアドバイスする傾向がある。「自分は○○のメカニックだった」「あいつは俺がチャンピオンに育てた」など、藁を掴んででも速くなりたい若いレーサーには神のアドバイスのように聞こえるのだ。
しかし彼らはドライバーではない。自らステアリングを握って130Rを全開で駆け抜けた経験などない人たちだ。ドライバーのイメージと違ってくると最後は「根性」でタイムを出せ、となる。僕がレース界でもっとも馴染めなかった「スポ根論」(古い言葉だ)が深く根付いていたのだ。
無理もない。まだその当時は日本のレースの歴史は浅く、レーサーは花形職業で、才能豊かなお金持ちかメーカーの契約レーサーしか活躍できない時代だ。若いレーサーを面倒みる余裕も暇も意味もなかったのだから。
今、時代は大きく進み、かつて活躍した一流のレーサーが多勢いる。そんななかでコーチとして活動している元レーサーも多勢いるのだ。僕も「中谷塾」を主宰し、塾生のレース活動には積極的にアドバイスし、佐藤琢磨君はそれに従ってF1のシートを掴んだ。
現代の問題はコーチできる元レーサーは多勢いるのに、コーチとしては生活が成り立つほどの所得が得られないことだろう。現役のレーサーですら食べて行くのが大変なのに、コーチなどボランティアでしかやっていけない。日本のモータースポーツを本格的に育てるなら、こうしたレース界の循環を理解し支えてくれるスポンサーシップが不可欠なのだが、現状、自動車メーカー以外にそれを期待することはできていないのだ。