多くはチーム監督や事業経営でいまも活躍中だ
創成期に花形レーサーとして活動していたプロドライバーは、もともと裕福な家庭の御曹司であったり、その人脈や社会的信用度の高さと運転技能を嘱望されメーカーの契約を勝ち取れた者、オートバイレースから命がけで勝者となり続け、叩き上げとして自動車メーカーからスカウトされた者などさまざまだ。
直接面識はないのだが、トヨタ自動車の契約レーサーで1969年に25歳の若さで壮絶な事故死を遂げた故・福沢幸雄氏は、フランス・パリ生まれでファンションモデルもする程のハンサムガイとして知られた。慶応義塾大学創設者で一万円札に肖像が描かれている「福沢諭吉」の曾孫でもあった。その華麗な経歴に多くのレースファンが憧れたものだ。
ほかにも故・川合 稔氏や見崎清志氏などハンサムなレーサーを多く抱えたトヨタ自動車に対して、日産自動車は2輪からの叩き上げで陣容を組んでいた。高橋国光氏や通称ガンさんこと黒澤元治氏、北野 元氏、長谷見昌弘氏など現在も多くのファンを持つ人気の高いレーサーが多い。
そんな彼らも現在は70〜80代。現役時代の活躍と人間的な評価の高さから、今でもSUPER GTなどプロレースチームの監督を務めたりチームオーナーとして活動されたりしている。
なかにはレーサーを引退し、事業に専念して起業家となり成功を収めているレジェンドドライバーも多い。自動車レースに傾注し、心血を注いだ努力を事業経営に活かせれば成功しないはずがない。自動車レースでの成功者は、無事生き残ることができれば老後の第二の人生も満ち足りたものにできるはずなのだ。
かく言う僕はというと、「花形」な時代は短かったものの、テストドライバーとしてのキャリアは現在もまだ続けることができていて、今はこのようにさまざまな記事をリポートして恵まれた生活を送っている。ただ、ほかの方々と違うのは「引退宣言」をしていないこと、だ。今でもチャンスがあればレースに復帰するつもりでいる。
トヨタ自動車の花形レーサーで、74歳となった今も現役でレース活動を続けている見崎清志氏。見崎さんが口癖のように発していた「F1に乗るまで辞めない」という台詞が大好きで、ずいぶん勇気をいただいた。だから僕も「クラシックF1でモナコGP」に出場するまで現役を続けると公言しているのだ。
われわれ以前の世代がいかに充実したレーサーとしての老後を送れるか。その姿を見せ続ける事で現役世代にもモータースポーツに自信をもって傾注し人生を捧げる勇気を授けられるはずなのだ。