60代が「若かりし頃の憧れ」は現実的なスポーツカー! いまでも圧倒的な輝きを放つ4台の国産車 (2/2ページ)

スポーツカーからハイソカーやデートカーに移り変わっていった

3)トヨタ・ソアラ(1981年)

 1980年代、国産車の新しいトレンドとして「ハイソカー」ブームがやってきた。その象徴的存在なのがトヨタ・ソアラだ。純粋な意味ではスポーツカーではないが、ソアラ専用に開発されたといわれた2.8リッター直列6気筒“ツインカム”エンジン「5M-GEU」で、その立派なヘッド形状はハイパフォーマンスを求めるユーザーの憧れの的となった。

 さらにサスペンションは四輪独立懸架、そしてブレーキは日本車初の4輪ベンチレーテッドディスクというのも理想のスペシャリティクーペとしての価値を高めていく要素だったと記憶している。そして最上級グレードの価格は300万円に迫るもので、さすがに庶民が購入するにはハードルが高いと感じさせたが、日本経済はバブル景気(1986年~1991年)に向かっていた。ヤングユーザーが無理してソアラを購入するといった話も珍しくなかったりする時代でもあった。

 というわけで、1980年代は若者の嗜好が純粋なスポーツカーからハイソカーや「デートカー」と呼ばれる上品感のある2ドアクーペへと向かっていった。

4)ホンダ・プレリュード(1982年)

 まさしく、そうした時代にデートカーとして一世を風靡、若者が欲しがった憧れのモデルがホンダ・プレリュード(2代目)だ。フロントにダブルウイッシュボーン式サスペンションを採用することで実現した低いノーズと、そのシルエットを強調するリトラクタブルヘッドライト。駆動方式はFFだったが、間違いなくスポーツイメージを持っていた。

 国産車初の4輪アンチロックブレーキシステムを採用するなどハイテクイメージを持っていたのも、ヤワなデートカーではないポジティブなイメージを生み出していった。ちなみに、初期モデルの新車時価格は170万円強といったところだ。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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