大きいほうが立派だという考えは時代遅れだ
しかしながら、同時にまた空気抵抗の少ない造形でないと、燃費に影響を及ぼす。空力性能は、クルマの形と、車体の大きさが関わってくるからだ。それらを両立させるため、コンピュータシミュレーションによって世界の自動車メーカーが同じように検証できるので、新車の外観(ことに輪郭)は似たようになっている。そこで差別化するため、フロントグリルの肥大化も起きている。造形の自由度を高め、それでいて室内空間にゆとりを持たせるという口実は、もはや意味を失いつつある。
衝突安全についても、ではなぜ軽自動車が存在できるのか。コンパクトカーもなぜ残っているのか。そして日本では、5ナンバー車が販売上位を占めているのか。そういう現実がある。現在では、コンパティビリティの考えから、軽自動車と登録車を衝突させ、双方の衝突安全性能が確保される開発もなされている。
ならば、新車の肥大化は、自動車メーカーが競合との比較でどちらが立派に見えるか? という、見栄でしかないことになってくる。その方が、営業しやすく、消費者もわかりやすいだろうという安易な発想だ。
なおかつ、いくら車体の軽量化を技術革新で行ったといっても、車体が大きくなれば全体の車両重量は重くなるのであり、燃費を改善し、環境負荷を低減しなければならないという時代の要請にも逆行する。
新車の肥大化は、いわば自動車メーカーの独善といえるだろう。消費者は、そこまで望んでいないとの証が、国内での5ナンバー車、そして軽自動車人気に示されている。
衝突安全性能の向上という点でも、いまのままでは交通事故死者ゼロはもはや実現できないとわかったスウェーデンのボルボは、世界で販売する新車の最高速度を時速180kmに制限することを決めた。最高速度無制限を謳うドイツのアウトバーンが、あらゆる点で時代にそぐわなくなっている証でもある。
大きいほうが立派に見える、速く走れるほうが高性能だとする20世紀の価値観は、もはや時代遅れだ。環境負荷ゼロを目指しながら、快適で幸せに暮らせる商品と使い方が21世紀を牽引する。いつまでも肥大化を続ける自動車メーカーは、反社会的企業として就職先や投資先としても敬遠されていくことになるのではないか。