巨大工場が消える計り知れないダメージ! パジェロ製造やホンダ狭山工場の閉鎖で「城下町」への影響とは (1/2ページ)

正社員の雇用は守られるだろう

 2020年7月、三菱自動車が岐阜にある子会社「パジェロ製造」を2021年8月頃に閉鎖することを発表した。その名のとおり、パジェロを作ってきたこの工場はデリカD:5やアウトランダーを生産しているが、パジェロは生産中止となり、デリカとアウトランダーは岡崎工場に移管されるとアナウンスされている。

 また、同じく2021年度内にホンダは同社の狭山工場(埼玉)を閉鎖することを発表している。狭山工場はホンダ初の四輪専用工場として1964年に誕生した伝統のある場所だが、だからこそ設備の老朽化などが課題。結果として狭山を閉じて、新世代のマザー工場として同じく埼玉県内にある寄居工場に注力していくという意思が見える工場のリストラだ。

 では、このように自動車の完成車工場がなくなってしまうと、その周辺にはどのような影響があるのだろうか。ここでは2004年に完全閉鎖となり、いまや跡片もない日産自動車の村山工場に関するエピソードを思い出しながら、自動車工場の城下町といえる地域にどのような影響があるのか整理してみよう。

 もともと日産に吸収合併されたプリンスの流れを汲む村山工場は、テストコースも用意するほどの巨大工場で、閉鎖が発表された1999年には2400名ほどの正社員がいたという。工場がなくなるからといって、社員を簡単にクビにすることができないのが日本の労働法であり、結果的に1900人ほどが他の事業所に異動したとのことだ。住み慣れた地域を離れることを歓迎する人はいないだろうし、単身赴任を強いられるケースもあっただろうが、それでも正社員であれば雇用は守られた。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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