「安い」「壊れない」「走りも楽しい」って凄すぎない? ニッポンの軽トラックがとてつもなく優秀なワケ (2/2ページ)

オーナーからの厳しい要望に対応してきた歴史がある

 戦後のモータリゼーションで、最初に普及したのは乗用車ではなく、軽トラックだった。自動車の前に馬車の時代を経た欧米と異なり、クルマが走れる道路の整備が遅れていた日本では、戦前は自転車やリヤカーが庶民の運搬車両として使われ、戦後になって小型のオートバイに発展。その後は三輪トラックが主流となった。

 1954年に開催された第一回の東京モーターショーの出展車は三輪トラックだらけ。そこからダイハツの初代ミゼットが大人気を博し、小型三輪トラックの全盛時代を迎える。あまり整備されていない日本の狭い道を、目一杯荷物を積んで走り抜けるには小型のトラックが最適。バイクに屋根を付けただけのような軽三輪トラックは簡素な構造で値段が安く、零細企業や庶民でも導入しやすかった。

 しかし、軽三輪トラックはコーナリング時の安定性が極めて悪く、横転事故が後を絶たないという問題に直面する。1960年代になるとスバルのサンバーやスズキのキャリィ、ダイハツのハイゼットなど、今でも続く四輪の軽トラックが相次いで誕生し、軽トラックは三輪から四輪が主体に。ホンダや三菱も参入し、右肩上がりの高度経済成長とともに、軽四輪トラックは大繁栄を迎えた。

 軽トラックの性能が磨かれたのは、多様化するユーザーから求められた、ありとあらゆる類いの厳しい要望に細かく応えてきたことに尽きる。高度成長期ということで日本の零細企業はどこも猛烈に忙しく、350kgの最大積載量を超えて積まれることは当たり前。想定の3倍以上もの荷物を積みながら、未舗装路や農道を走破できる走行性能が平然と求められた。

 その一方、豆腐や卵などの食料品や日用品を軽トラックで配達、販売することも多かったため、ある程度はしなやかな乗り心地を確保しなければならないなど、相反する性能を両立させることを多方面から求められる。海辺などで水気の多い土砂や海産物を積まれたりするなど、防錆対策も高い次元が必要となる。これらの厳しい要件を満たすための改良が日々重ねられた。

 もちろんその時代に定められた軽自動車規格を超えることは許されないし、競合が多いので価格も抑えねばならない。個人商店から大企業まで様々な業務で使われるため、乗用車よりはるかにユーザーの評価が厳しいことも性能向上をもたらしたポイントだ。数年でガタが来たりすると、アッサリ見切られて他銘に乗り換えられることも多く、耐久性も極めて重要となる。作る側としてはイヤになりそうな商品と思えるが、販売台数も右肩上がりに伸びるので、メーカーとしても力の入れ甲斐があったという。

 ちなみに、黎明期の軽トラックはスバルのサンバーが一番人気で、最大で33%のシェアを誇った。5メーカーが参入する激戦市場で3分の1を占めたのはすごい。キャブオーバーやRRといった独自性の高いレイアウトを採用したのが奏功した。

 軽トラックには、日本のクルマのなかでもっとも厳しい使用状況下で酷使されながら、多彩な要件に対応し続けてきた歴史がある。それゆえにクルマとしての基本性能が高くなり、いまもなお個人商店や農家、零細企業で重宝され続けているのだ。


マリオ高野 MARIO TAKANO

SUBARU BRZ GT300公式応援団長(2013年~)

愛車
初代インプレッサWRX(新車から28年目)/先代インプレッサG4 1.6i 5速MT(新車から8年目)/新型BRZ Rグレード 6速MT
趣味
茶道(裏千家)、熱帯魚飼育(キャリア40年)、筋トレ(デッドリフトMAX200kg)
好きな有名人
長渕 剛 、清原和博

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