官能性やフィーリングの良さでは一歩及ばず
ダウンサイジングターボエンジンが今も抱えるネガ、というかクルマ好きが感じる不満のひとつは、官能性能。スポーツモデルのダウンサイジングターボも旧型比で明らかに速く、レスポンスも良いなど性能面では何の不満もないものの、気持ち良さの面においては、どこか物足りなさを感じてしまう場面が多い。官能性やフィーリングの良さで、従来型エンジン車を超えたと思えることはほとんどないのだ。
たとえばフェラーリ488では、その旧型458時代までの「脳髄に雷が落ちて失神しそうになる」ような刺激は薄まったし、シビックタイプRでは、ターボ化されてから圧倒的にパワフルとなり、フラットトルクで扱いやすくなった反面、NA時代の他に得難い魅力だった鋭利な刃物のようにシャープな切れ味は減退した。
BMW M3(およびその流れを組むM4)では、大排気量V8をやめて伝統の直列6気筒に回帰。かのシルキーシックスが復活したのは情緒的にも歓迎されたものの、快楽さではE46型時代までに積まれたNAのシルキーシックスに遠く及ばない。
アルファロメオ各車も然り。かつてのアルファといえば、エンジン単体の気持ちよさだけでも欲しくなるクルマで、たとえばアルファ156/147GTAなどに積まれた3.2リッターのV6、あるいはアルファ155に積まれたSOHC2.5リッターのV6は、もはや内燃機関の機械ではなく「高級な楽器」のような甘美さが得られたものだ。
しかし今のアルファのエンジンは、言葉で表すと「なかなかスポーティ」ぐらいの感動レベルに落ち着いてしまう。4Cは例外的に刺激的ながら、それはレーシングカーに近い成り立ちによるもので、冷静になって乗ると、エンジン単体の刺激性はそれほど高くないと感じてしまう。
最新モデルでも各ブランドならではの「らしさ」は十分備わっているし、返す返すも性能面ではリスペクトに値する向上を遂げていて、基本的には文句はない。だが、それでもなお一抹の寂しさを感じてしまうところに、ダウンサイジングターボの課題があるように思える。
今でも単純に、同じスペックのハイパフォーマンスカーでも、ダウンサイジング系よりも大排気量、あるいはピークパワー重視の出力特性の尖ったターボエンジンのほうが、乗ってて面白いのだ。
ドライブ後、とくに意味もなくボンネットを開けて、エンジンルームをいつまでも鑑賞したくなるような情緒的なスポーツモデルの魅力。それが、かつてほどではなくなってしまったと感じるのは、筆者だけではないはず。
官能性の次に難癖を付けたくなるのは「豊かさ」だ。ダウンサイジングターボは基本的にフラットトルクで低速トルクは豊かながら、微低速域など過級圧が高まらない瞬間は小排気量ゆえのトルクの細さを感じさせる。高額車では電気モーターアシストでこれを補ったりしているが、やはり絶対的な排気量が小さいとトルクの厚みを増すのは難しく、どこか無理に絞り出しているような苦しさが伝わる場面がある。ダウンサイジングターボ車から大排気量NA車に乗り換えると、排気量の大きさがもたらす豊かさは想像以上に大きいことを実感するのだ。
あとの課題は、やはり情緒面での物足りなさだろう。大排気量&多気筒がエライという価値観はさすがに廃れたものの、小排気量&少気筒は、どうしてもスペック的にワクワク感が欠ける。フィアットのツインエアで見られた2気筒には個性の強さがあり、あるいはいっそ単気筒まで割り切れば逆に凄みを増すが、現在増殖中の1~1.5リッター前後の3気筒エンジンは、もはや新鮮味が薄れた。
しかも、現状では世界中どのブランドも似たような特性だったりするなど、ダウンサイジングエンジンは画一化されやすく、強い個性を発揮しにくいユニットだとも感じる。小型車で増えた3気筒は、V6モジュールをベースとした効率優先の結果であるなど、背景的にもグッと来るモノがない。
全般的に、現状のダウンサイジングターボは性能面では素晴らしい反面、ひと昔前のエンジンと比べると、クルマ好きが深い愛情を注ぐ対象としての魅力にはいまひとつ欠ける。それが、いちクルマ好きとしての率直な思いだ。これから登場するダウンサイジングターボには、官能性や情緒面での魅力が増すことを切に願う。